エンターテイメント日誌

2004年12月14日(火) CG対決!<スカイキャプテンの場合>

「スカイキャプテン/ワールド・オブ・トゥモロー」の脚本・監督を手がけたケリー・コンランはずぶの素人であった。自宅のガレージにある1台のパソコンに向かい4年間かけて製作した「ワールド・オブ・トゥモロー」というたった6分間のアマチュア作品が認められ、今回の大抜擢に繋がったのである。まさにアメリカン・ドリームの実現である。

「スカイ・キャプテン」に登場する巨大ロボットはフライシャー兄弟の「スーパーマン」に登場するメカニカル・モンスターがモデルになっている。宮崎駿もフライシャー兄弟の影響を受けているので「天空の城ラピュタ」やTV「さらば愛しきルパンよ」に登場するロボットと実によく似ている。

映画を観ていればコンランが1939年という時代に拘っているのがよく判る。映画「オズの魔法使い」が劇中に出てくるし、故ローレンス・オリビエが「嵐が丘」(1939)出演時の映像を引用し、CG加工して悪役に仕立てたりしている。

この1939年はハリウッド黄金期を象徴する最も偉大な年として記憶されている。この年公開された作品は他に「風と共に去りぬ」「ニノチカ」「スミス都に行く」「チップス先生さようなら」そしてジョン・フォードの「駅馬車」など目眩のするような錚々たるラインアップなのである。

コンランがその時代にオマージュを捧げようとしている意図はよく判る。しかし、筆者にはそれが単なる懐古趣味以上の何ものでもない気がした。「昔のハリウッド映画は良かったなぁ。」という素人映画オタクの手慰みに1時間47分も付き合わされることの不快感。ローレンス・オリビエの登場のさせ方だって到底敬意を払っているとは想えない。

この映画は全編俳優がブルー・スクリーンの前で演技し、CG合成をするという手法をとっているが、役者と背景が馴染んでいるとも想えない。実に人工的である。銀残しと思われるくすんだ画像処理もわざとらしい。

ジュード・ロウとグイネス・パルトロウのカップルが喧嘩しながら最後には結ばれるというプロットは「赤ちゃん教育」「レディ・イヴ」「フィラデルフィア物語」など1930年代から40年代にかけて流行ったスクリューボール・コメディを意識していることは明らかである。特にパルトロウが女性新聞記者を演じているという点でハワード・ホークス監督究極の傑作「ヒズ・ガール・フライデー」(1940)の路線を狙ったのだろう。しかしながら脚本を書いたのが所詮映画オタクというだけの素人なので、全く会話が弾けない・ときめかない・面白くない。実に救いようがない。

同じCGを駆使した作品でも本作とピクサーの「Mr.インクレディブル」が決定的に異なるのはそのスピード感である。「Mr.インクレディブル」が徹底的に絵を動かし、映画の躍動感を伝えてくれるのに対して「スカイキャプテン」の絵は停滞し、まるで退屈なCGの紙芝居を観ている様な感覚に陥ってしまう。

そういう訳で映画としての体裁を保っていない本作は<映画ですらない何か>である。


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雅哉 [MAIL] [HOMEPAGE]