エンターテイメント日誌

2004年10月23日(土) 自らの肉体をモンスター化した女優とオスカーの鉄則

これは前回の日誌からの続きである。

「モンスター」の評価はC+である。痛い映画だ。観終わった後残るのはどんよりと重くのし掛かる疲労感だけ。嫌いな映画ではあるが、クリエイター達の気迫がひしひしと伝わってくるし、嫌々ながらも映画の持つ力は認めざるを得ない、そういった心境である。

シャーリーズ・セロンの演技、というよりもむしろその<肉体改造>は圧巻である。今回は製作にも名前を連ね、並々ならぬ意欲・決意が窺われる。「私は奇麗なだけの女じゃないのよ。」という魂の叫びを、筆者はしかと聞き届けた。南アフリカからやって来て、ハリウッドの頂点に登り詰めた女優根性は伊達じゃない。

確かに凄いとは想うのだが、しかしその一方でせっかく天から授かった美貌を犠牲にして、ここまでする必要はないんじゃないかという気もする。「めぐりあう時間たち」で付け鼻をしてオスカーを受賞したニコール・キッドマンの時も想ったのだが、美人女優が本来の美しい姿のままではアカデミー賞を受賞できないというあり方に問題があるのではなかろうか?「ムーラン・ルージュ」のニコールにこそ、オスカーは授与されるべきであった。

レニー・ゼルウィガーにしても、彼女が下品な南部訛を喋ってオスカーを受賞したあの下らない「コールド・マウンテン」なんかよりも、「ザ・エージェント」とか「ブリジット・ジョーンズの日記」「シカゴ」における彼女の方がよっぽどコケティッシュで魅力的である。コメディが過小評価されているのが諸悪の根元なのである。ヒュー・グラントが怒るのも無理はない。(彼はオスカーにノミネートすらされたことがないのでは?)

話は「モンスター」に戻るけれど、セロンが恋に落ちる相手役のクリスティーナ・リッチは自分の胸が大きいことを気に病んで、乳房を小さくする”貧乳”手術を受けているのだが、今でも十分豊満な胸だったので安心した(←なんのこっちゃ!?)。しかしながら肉体改造したセロンの醜いぶよぶよヌードは拝めたが、リッチの方は今回もガードが堅く、サービス・ショットがなかったので残念。「私は胸だけの女優じゃないのよ。」ということなのだろう。

ま、こういう卑しい発想は男の性なのでいかんともし難く、女性読者は広い心でご容赦下さい。おしまい。


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雅哉 [MAIL] [HOMEPAGE]