エンターテイメント日誌

2000年12月31日(日) ダンサー・イン・ザ・ダーク

ラース・フォン・トリアーは日本では「奇跡の海」の監督として有名で「奇跡の海」はカンヌ映画祭審査員特別大賞を受賞し、日本の有名な映画雑誌キネマ旬報のベストテンにも入選た。でも僕はここであえて、この映画が大嫌いであることを告白する。「奇跡の海」は自己犠牲をモチーフとしていると一般に云われているがヒロインが恋人を救うためにわざわざ別の男に犯され、なぶり殺されてそれによって奇跡が起こり、天上の鐘が祝福するように鳴り響く・・・こんなお話は僕に云わせれば単に自虐的で悪趣味なだけとしか想えず、嫌悪感しかこの映画に抱けなかった。

だからたとえ僕が大好きなミュージカル映画であろうと、カンヌでグランプリを取ろうと「ダンサー・イン・ザ・ダーク」は観る前から胸騒ぎというか、嫌な予感がしていた。そしてその予感は不幸にも的中したと言わざるを得ない。

今までに僕は100本を越えるミュージカル映画を観続けてきたが「ダンサー・イン・ザ・ダーク」は20世紀で最も不快なミュージカル映画であったとここに宣言する。21世紀になる前にこの映画を観ておいて良かった。この忌むべき作品の想い出は20世紀に封印して忘却の彼方に追いやり、来るべき世紀を新たな気持ちで迎えたいと想う。
まず、遺伝的に盲目となる女性セルマを主人公に、これでもかっ!と次々に不幸な出来事に襲われるという救いのない物語を観ながら、ここまで弱者に対してサディスティックに苛める、トリアー監督のセンスに軽蔑の念を禁じ得ない。(以下ネタバレあり。これからご覧になる方はご注意を。)


大体、目が悪いのにアルミ工場で働いているというのが妙な設定である。福祉施設と相談すればもっと他の仕事が見つかるだろうに。まるで「私を解雇してもっと悲惨な目に合わせて頂戴!」と自ら叫んでいるようなものだ。せっせと息子の手術のために溜めたお金を家の押入に隠しているのも変変変!!何で銀行に預けないの?チェコの移民だから口座が開設出来ないの!?まるで「私の大切なお金を盗んでもっと私を不幸にして頂戴!」と言いふらしているようなもの。こういうところがトリアー監督の許し難い「あざとさ」なのだ。愛する者を救うために自ら死を選ぶという結末は全く「奇跡の海」と同じ。
「また自己犠牲の話か、ワンパターンだなあ。しかしこれにグランプリを与えるカンヌも狂気の沙汰だ。」
とウンザリしてしまった。同じキリスト教的自己犠牲の物語ならこんな代物を観るよりアンドレ・ジイドの小説「狭き門」でも読んだ方がよっぽど有意義な時間を過ごせるだろう。それからセルマが絞首台に向かう場面はさながら十字架に張り付けにされるキリストなのだが、そこで主人公は恐怖で泣き叫び、足が竦んでしまう。息子のために犠牲になるという決心をしたくせに、なんとぶざまでみっともないことか。これにも腹が立った。もっと毅然とすべき場面だろうに。

くすんだ色彩の手持ちカメラでの映像は、画面が揺れて見苦しく汚い。「ブレア・ウィッチ・プロジェクト」の悪夢を思い出した(^^;。ミュージカルの場面になると色彩が多少豊かになるのだが、それでも往年のMGMミュージカルの華麗さの足元にも及ばない。題名「ダンサー・イン・ザ・ダーク」はアステアが主演したMGMの傑作「バンドワゴン」の有名なナンバー「ダンシング・イン・ザ・ダーク」のもじりなのだろうが、これでは「バンドワゴン」に対して失礼だ。僕の大好きな「サウンド・オブ・ミュージック」の引用にも腹が立ったくらい(笑)。特に主人公が殺人を犯した後、空想の中とはいえ、笑顔で歌い出す場面にはトリアー監督の無神経に呆れ果てた。

映画を観終わって出ていこうとしたら20代後半くらいのスーツを着た男の人が映画館のお姉さんに向かって
「なにしろ主人公の女に最後までむかついた!」
と話しかけているのが聞こえた。お姉さんは笑って頷いていた。この様子を見ながら僕は想わず快哉を叫びたくなった(^^;。

ただ、映画「エヴィータ」も担当したヴィンセント・パターソンの振付やビヨーク作曲の唄の数々、そして彼女の歌唱は見事であったこと、そして映画「キャバレー」で妖しいM.C.役を演じ、見事にオスカーを受賞したジョエル・グレイが出演し、なんとダンスまで披露してくれたのがとっても嬉しかったことを最後に書き添えておく。


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雅哉 [MAIL] [HOMEPAGE]