ゆえの日記
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2005年03月18日(金) 例えばそういう事なのだろう



昔、飼ってた鳥が死んだ時の事を言って、ものすごく笑われた事があって。

妙に冷めた感情で

『ああ、そうなのか』


と、納得した。


死ぬと言うのは当然だし。
他人だし、関係無い。人でない場合はもっと関係無いんだ。

そう思ったのは小学3年だった気がするな。


それから、自分が死んでもあまり関係無い状態で死ねるように努力してきた気がする。
保険をかけて、自分が残したローンを誰も負担する事が無いようにとか。
関係無い人にまであまり被害が及ばないようにとか。
無駄なものは残らないようにとか。

「いつ死んでも良いように」

と、言うと母には怒られたが、妙に小学生の頃の経験が響いているのか。

死ぬときの準備をするし。

きっと、誰が死んでも哀しむけど、妙に冷めてるんだろうなぁ。

現に、身内が死んだとき、私1人だけ


「そりゃあ、死ぬだろうさ。人間だし」


と、言う顔で葬式に出たら、やっぱり、かなり浮いてた。
泣いてないし。
哀しい顔なんて、心のソコでは。

「死ぬさ。人間だもん。寿命だ。寿命」

とか思ってたモンで、感情も何もあったもんじゃない。

当然泣けるわけも無く。
葬式って改めて見ると無駄が多いとか。
粗利益75%か・・・とか。
死んだ人にこの儀式ってやっぱ無駄。

とか・・・




やたらに冷めすぎて嫌になる。


ゆえ