先日、彼岸の墓参りに行ってきたので、今月はもう何もすることがなくなった。 いや、今月だけではない。 来月予定している東京行きは、おそらく後半になるだろうから、それまで何もすることがなくなったのだ。 1ヶ月以上も何もすることがないとなると、気が滅入ってしまう。
その間アルバイトでもやっていれば気が紛れるのだろうが、それをやると、失業手当の支給に影響が出てくる。 失業手当を全額もらうには、その間無収入であることが絶対条件になる。 もし失業期間に収入があった場合、その収入額分を失業手当から差し引かれるのだ。 失業手当以上の収入があるのならともかくも、ほとんどの場合ないわけだから、動くだけ損という結果になるわけだ。
何もやらない理由はそれだけではない。 来月後半に予定している東京行きだが、これは文字通り予定であって確定しているものではない。 つまり、早まることもあり得るということだ。 そういうわけなので、いつでも動けるように、時間を空けておかなければならないのだ。
しかし考えてみると、こういったことも拘束の一種である。 せっかく会社からの拘束を受けなくなったと喜んでいたのに、思いも寄らぬところから拘束を受けるようになったわけだ。 しかもそれは、今まで以上に窮屈な拘束である。 だから気が滅入ってしまうのだ。
要は拘束と捉えなければいいのだ。 例えば、ありふれてはいるが、次のステージへの準備期間とか、充電期間などと捉えることにすればいいのだ。 現に、ぼくは今、毎日次のステージへの準備、つまり職業訓練をしているわけだから、そう思うことが妥当だろう。
|