友人のオナカ君は、ぼくによく「教祖になれ」と言う。 独立を考えている今、それも悪くないとは思うが、ぼくは教祖になる素質を持ち合わせてはいない。 霊能者でもなく、人を導くような教義を持っているわけでもない。 何よりも教祖に不可欠なカリスマ性というものがないのだから、それは無理である。 もしそれでもなるとしたら、インチキ宗教の開祖になるしかない。
そういえば、昔読んだマンガに『笑う宗教』というものがあった。 辛い時も、悲しい時も、笑っていれば救われるというものだったが、これなら出来そうな気がする。 最近は笑うことが少なくなったが、ぼくは元来笑い上戸の男なのである。 小学生の頃などは、人のすることがおかしくて、いつも一人で笑っていたものだった。
しかも、笑い出すとなかなか止まらないのだ。 そのために腹は痛くなる、涙は出てくる。 そういう自分がおかしくて、また笑ってしまう。 先生はそれを見て、「あんた何がそんなにおかしいんね。他の人は誰も笑ってないやろ?」と言う。 「だっておかしいもん」 と、その問答がまたおかしく感じる。 で、また笑ってしまう。 すると先生は怒ってしまい、「授業の妨げになる。廊下に立ってなさい!」と怒鳴るのだ。 廊下に立っていても、しばらく笑いは収まらなかったものだ。
しかし、考えてみると、あの頃が一番楽しかった。 もしかしたら、それ以降あまり笑わなくなったから、楽しくなくなったのかもしれない。 楽しいことが福なら、やはり笑う門には福がくるのだろう。
そうだ。これだ。 笑っているだけで、儲かるのだから、これはいい商売だ。 元手がいらないのだから、お布施がすべて利益になるわけだ。 しかし、それならぜひオナカ君に教祖になってもらいたい。 何せ、オナカ君の高校時代のあだ名の一つが、『笑い仮面』だったのだから。 ぼくは教祖様の取り巻きでいい。 つまり、映画『教祖誕生』の中の、岸部一徳役で充分ということである。
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