いやー、まだ出来るじゃないか。 もう出来ないと思って諦めていたのに、まだ神様は見捨てなかったんだ。
今日のことだった。 風呂に入っていると、急に頭の中に曲が広がってきた。 「これを逃してはならない」と、ぼくはさっそく風呂を上って、真っ裸のまま部屋に走った。 そして、録音機材の電源を入れたのだった。
実に、十数年ぶりに曲が落ちてきたのだ。 落ちてきたとは、曲が浮かんだということである。 これはぼくの場合だけかもしれないが、曲が浮かぶ時は、決まって曲の種のようなものが頭の後ろあたりに落ちてくる感触がある。 それで、いつも落ちてくると言っているのだ。 植物の種は、地中に根を張り、芽を出し、そして花開くが、曲の種もそれと同じように成長していく。 その過程の中で、詞という肥料をやれば歌として完成する、というわけだ。
前に書いているかもしれないが、ぼくはある時期を境に、作曲にはギターを使わなくなっていった。 そのある時期というのは、曲が落ちてくるのを意識するようになった時期だ。 歳で言えば、20歳を超えた頃だった。 それからだんだん作曲にギターを使わなくなり、23歳以降はまったく使わなくなった。
だが、それに伴って、作曲数も減っていった。 そう毎度毎度曲が落ちてくるわけではないからだ。 そして30代中盤になり、いよいよ作曲が出来なくなった。 つまり、落ちてこなくなったわけだ。 とはいえ、その頃はすでに音楽活動をやっていなかったから、それについての焦りはまったくなかった。 そして、焦りのないまま、昨日まできたのだった。
最近ここで、よく音楽活動やりたいみたいなことを書いているが、それは作曲活動をやるということではなく、これまでに作った曲を歌っていくというものだった。 そのためには場所がいる。
だが、曲が落ちてくるとなると話が変わってくる。 創作だから、部屋の中でも出来るわけだ。 また、創作をする時というのは、アルファ波が出ているようで、妙に心地よいものである。 再びそういう楽しみを味わえるというのは、実に喜ばしいことだ。
ということで、本格的に音楽活動が出来そうです。
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