| 2005年12月04日(日) |
ゼロから数字を生んでやらう |
先日ラジオで言っていたが、近頃の学生の中にはすでに人生に失望感を抱いているものがいるのだという。 高校や大学を落ちたら、もうその他の道を考えられないのだそうだ。 その背景には、もちろん現代社会の風潮があるらしいのだが、それよりも、「受験だけが人生じゃない」と教えてやる大人がいないのが一番大きな問題だと言っていた。 いや、教えてやらないのではない。 彼らがそれを受け入れないらしいのだ。
ちょっと困ったことである。 ぼくも高校まではわりと順風満帆に進んでいたのだが、高校で落ちこぼれになり、その後学校社会からは完全に受け入れられない人間になってしまった。 だが、そのことで人生に絶望感などを抱くようなことはなかった。 音楽という、他の選択肢を持っていたからだ。 つまり、ぼくにとっては、勉強がすべてではなかったのだ。
来春、姪の大学受験がある。 姪もぼくと同じく、ここまでは順風満帆の人生を送ってきた。 だが、ぼくと違う点は、勉強がすべてだという考えを持っている節があるということだ。 仮に来春受験に失敗したとしたら、彼女はどういうふうにその人生を受けとめるのだろうか。 ラジオで言っていたことを考え合わせると、叔父として少し心配になる。
もし姪がぼくに助けを求めに来ることがあったとしたら、「ゼロから数字を作ってやろう」という言葉を教えてやろうと思っている。 ずっと以前にも書いたが、高村光太郎の『天文学の話』という詩にある言葉だ。 ぼくはこの言葉を、浪人中に初めて知った。 それ以来、何か落ち込むことがあるたびに、この言葉を思い出した。 それで勇気づけられたのだ。 ぼくが挫折せずに、何とかここまでやってこれたのも、この言葉があったおかげだと思っている。 また、音楽作りや詩作という創作活動をやっている時は、この言葉が原動力となったものだ。 ぼくに人生にとって、何よりも大切な言葉なのである。
さてこの言葉、姪はどういうふうに受けとめるだろうか。
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