ぼくの店の熱帯魚コーナーに、『小太郎』という名の高校生のアルバイトがいる。 本名ではないが、見た感じ『小太郎』という名前がしっくりくるのだ。 ぼくがいつも「小太郎」と呼んでいるので、いつしかみんな「小太郎」と呼ぶようになった。 イトキョンにいたっては「小太郎ちゃん」と、「ちゃん」まで付けて呼んでいる。
最初の頃、彼は「小太郎」と呼ばれるのを嫌っていた。 「何でぼくが小太郎なんですか?」 「あんたが『小太郎』やけよ」 「本名違いますよ」 「そんなことはどうでもいいんよ。小太郎やけ小太郎と呼ぶんよ」 そう言って、ぼくは小太郎を押し切った。 そのうち、渋々彼は「小太郎」を受け入れるようになった。
しかし、やはり人前で「小太郎」と呼ばれるのは嫌だったようで、ぼくが散々人前で「小太郎」と連発して呼んだ後には、必ず近くにいる人に「ぼく、本当は小太郎じゃないんですよ」と自分でフォローしていた。 それでも気にせずに、ぼくは「小太郎」を連発した。 そのうち、小太郎は諦め、小太郎に抵抗しなくなった。 そう、晴れて小太郎になったのだ。
小太郎は大人しい子で、普段はあまり目立たない。 しかし、閉店近くになると、俄然張り切り出して、ぼくにいろいろ話しかけてくる。 話の内容は、お笑い関係のことが多い。 何でも、小太郎は中学生の頃まで、家族やクラスの人たちの笑いを取ることが得意だったらしく、今でも密かにお笑いの才能があると思っているようだ。
ぼくが「何かネタやってみ」と言うと、小太郎は「いや、ここではやれません」と言う。 「何で?」 「いろいろ準備がいるんですよ」 「小太郎は準備せな、笑いをとれんと?」 「いや、そうじゃないですけど、ぼくのネタはここじゃ受けないんですよ」 「じゃあ、どこやったらいいと?」 「うーん、教室とかがいいですね」 お笑いの才能があるなら、別に教室でなくてもいいはずである。 小太郎は、いったいどんなネタをやるつもりなんだろうか。 それはなかなか教えてくれない。
さて、今日のことだった。 いつものように閉店前に張り切りだした小太郎は、「しんたさん」とぼくを呼んだ。 「何だね、小太郎君」 「ちょっとぼくのお尻見て下さい」 「あ? おれ、そんな趣味ないよ」 「いや、お尻のところが破れてるんでしょ」 見てみると、なるほどお尻に穴が開いている。 「破れたんね?」 「いえ、最初から破れてるんです」 「不良品?」 「いや、わざと破ってあるんですよ」 「えっ、今は、尻の破れたズボンとかが流行っとるんね?」 「はい」
しかし小太郎は、その破れ具合が気に入らないようで、しきりにその破れを隠そうとしていた。 ぼくが「気になるなら、縫ったらいいやん」と言うと、小太郎は「そう思ってるんですけど、普通に縫ったらおかしくなりますからね」と言う。 「じゃあ、慣れた人に縫ってもらおう。ちょうどいい人がおる。ちょっと待って」 そう言ってぼくは、イトキョンのところに行った。
「イトキョン、小太郎がね…」 「小太郎ちゃんがどうしたと?」 「さっき水槽を掃除していたら、ピラニアにお尻を噛みつかれたらしいんよ」 「えっ、ピラニアに? それでケガはなかったと?」 「うん、ケガはなかったんやけど、ズボンのお尻が破れてしまってね。あんた縫ってやって」 「え、わたしが縫うと?」 「うん。あんたしかおらんやん」 「わたし縫いきらんよう」
そんなやりとりをしているところに、小太郎が「しんたさん、いいですよ。自分で縫いますから」と言ってきた。 「お、ちょうどいいところにきた。小太郎、お姉さんにお尻を見せてあげなさい」 「えーっ」 「何を恥ずかしがっとるんね」 「嫌ですよう」 そう言って、小太郎は元いた場所に走って戻っていった。 ぼくは「逃げるな、この根性なしが!」と言いながら、小太郎を追いかけていった。
イトキョンは、薄笑いを浮かべて、しばらくこちらを見ていた。 だが、夕飯のことで頭がいっぱいだったのだろう。 シャッターが閉まると、さっさと帰っていった。
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