さらに、中に入ってみてびっくりした。 それまで行ったどの歯医者も、押し扉を開けると、まずあの歯医者独特の強烈なにおいが出迎えてくれたのだが、その歯医者にはそれがなかったのだ。 ぼくが歯医者を拒絶する要因のひとつに、あのにおいというものが確実にあった。 それがないだけでも、心理的にかなり楽である。
中に入ってから、まず受付に行った。 そして、「初めてです」と言って保険証を出した。 そこで、アンケートのようなものを書かされた。 そこには、いくつかの質問が書いてあったが、その中に『一番最後に歯医者を利用したのはいつですか?』というのがあった。 「えーっ、いつやったかのう?」と、ぼくは考えこんでしまった。 それを見て事務の人が、「だいたいでいいですよ」と言った。 その時だった。 一番最後に行った時のことを、鮮明に思い出したのだ。 「そういえば、右上の親知らずを抜いたのが最後やった。右上の親知らずを抜いたのは…」 奇しくも、最後に歯医者に行ったのは、その前日の日記に書いた「店長と一戦交えた」頃だったのだ。 ぼくは「嫌なことを思い出したわい」と思いながら、『昭和63年2月』と書いたのだった。
それを書き終えると、「しばらく、そちらに座ってお待ちください」と言われた。 待合室で待っていると、10分ほどしてから「しんたさん、お入り下さい」と声がかかった。 いよいよである。
席は3つあった。 一番手前の席でじいさんが治療を受けていた。 「こちらにどうぞ」と看護婦がぼくをじいさんの横に座らせた。 ぼくが座ると看護婦は、「ちょっと見てみますんで、口を開けて下さい」と言った。 そして、例の鏡のついた棒をぼくの口の中に入れ、ぼくの口の中を丹念に調べだした。 時にはあの編み棒のような物で、歯を突っついたりする。 この作業でスルーした歯はほとんどなかった。 ということは、ほとんどの歯が虫に食われているのだろう。 特に奥歯は酷いようだった。
それが終わり、うがいをして待っていると、先生が「こんにちは」と言ってぼくの席にきた。 「奥歯が痛いらしいですね」 「はい」 「じゃあ、ちょっと見せて下さい」 ぼくが口を開けると、先生は「ああ、ここが痛むんですね」と言って、その部分をいろいろと調べだした。 「かなり痛んでいるけど、いつ頃から悪かったんですか?」 「20年以上前です」 「えっ?その間腫れたりしなかったんですか?」 「しょっちゅう腫れてました」 「最近では、いつ頃でしたか?」 「先月と、2週間前と、先週です」 「そうですか。今は治っているようですけど、歯茎を切って膿を出したんですか?」 「いいえ」 「歯茎が破れたんですか?」 「いいえ」 「じゃあ、どうしたんですか?」 「自分で吸い出しました」 「・・・」 先生はそれ以上、何も尋ねてこなかった。 おそらく、「よくここまで放っておいたもんだ」と思って、呆れていたに違いない。
ぼくは、なぜかその歯を治療されるのが嫌だった。 16年前に歯医者に行った時も、その歯だけは舌で隠していた。 さらに、その親知らずの手前の歯にかぶせていた銀冠がとれた時も、親知らずの治療をされるのが嫌だったので、そのまま歯医者に行かず放っておいた。 そのツケが今回きたのだ。
先生は、「ここも悪いけど、その手前の歯も酷いですねえ。最悪、どちらも抜いてしまわなければなりませんよ」と言った。 そして、「今日は応急処置だけしておきますね。次から本格的な治療に入ります」と言って、悪い歯を少しだけ削ったあと、セメンのようなものでそこを埋めた。
その次回がいつかと言うと、実は明日4日なのだ。 いよいよ本格的な治療が始まる。
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