頑張る40代!plus

2004年02月26日(木) 夢のいたずら

 『夢のいたずら』

 「君を愛してる」と言いかけた時
 いつも同じように、終わる君の夢
 言い出せなかった、大きな悔いが
 いつまでも残る。あの若い日は、
 先へと進まない
 いつもいつも、途切れた映画のように
 後味悪い、夢のいたずら

 朝の目覚めは、夢を引きずって
 力の入らない、一日の始まり
 あの頃君は、ぼくのことを
 どう思ってたのか、知りたくなって、
 想い出を訪ねる
 いつもいつも、過去に縛られていく
 もう戻れないことも忘れて

  言い出せなかった、大きな悔いが
  いつまでも残る。あの若い日は、
  先へと進まない
  いつもいつも、途切れた映画のように
  後味悪い、夢のいたずら


先日の日記書いたが、30代前半に作った歌である。
その当時、高校時代に好きだった人に、まだ潜在的な未練を持っていたのか、よく彼女の夢を見たものだった。
その内容はこの詞にあるとおりで、「おれ、お前のことが…」と言いかけた時に終わってしまうのだ。
あまり頻繁に、そういう夢を見るので、「もしかしたら、彼女のほうが、何かぼくに訴えたいことがあるんじゃないか」と期待したほどである。
しかし、現実には何も起こらなかった。
結局、いつの間にかそういう夢は見なくなり、ぼくの描いたドラマは、はかなくも想像だけに終わってしまった。

昔の人は、好きな人が夢に出てきたら、相手も自分のことを思ってくれていると判断したらしい。
万葉集の防人の歌などに、そういうことが書いてあった。
それを読んだ時、「ああ、そうだったのか!」と信じたものだった。
ところが、あまりに多くの女性が夢に出てくる。
その中には好きでもない人もいる。
いや、好きでない人がほとんどだ。
結局、「好きでもない人が出てくるのはおかしいし、こんなに多くの人に思われているはずもない」と思い至り、馬鹿らしくなってそういう考えを捨てることにした。

小さい頃は、よく空を飛んでいる夢を見たものだ。
それで、ぼくは空を飛べるものだと思ってしまった。
試しに、2階の階段から飛んでみたことがある。
一瞬体が宙に浮いたように思えた。
が、飛べなかった。

最近は、念力を使う夢をよく見る。
手も触れずに、コインを曲げたり、悪党を倒したりやっている。
夢から覚めたあと、ぼくはそういう念力を以前から使っていたように錯覚するのだ。
ぼおーっとした意識の中で、手を振ったり、指をひねったりやっている。
それを見ていた嫁さんが、「何しようと?」とぼくに声をかける。
それでやっと目が覚めるのだ。
まあ嫁さんだからいいようなものの、これが他人だったら、その人は一生ぼくを変な目で見ることだろう。
もしかしたら、こういうことも、夢のいたずらなのかもしれない。


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