| 2003年01月16日(木) |
アホバカ列伝 教師S |
高校1年の時、体育の授業の後でバレーボールを片づけていた。 かごの中に投げ入れたのだが、一個だけ漏れてしまった。 そのボールを追いかけていき、「この野郎!」とボールを蹴った。 その状況を見ていた男がいる。 体育教師Sだ。 彼は体育館の2階にある体育教官室から、血相を変えて降りてきた。 そして、「今ボールを蹴った奴、ちょっとこい!」と大声で怒鳴った。 ぼくが彼のもとに行くと、彼は突然ぼくの頬を引っぱたいた。 あ然としたぼくは彼をにらみ返した。 すると彼は「お前は何で叩かれたか、理由がわかるか!」と言った。 『理由も何も、ボールを蹴ったから、あんたはおれを呼んだんじゃないか』と思いながら、「はあ」と空返事をしておいた。 彼は満面の笑みを浮かべ、「よーし、わかったか。これからは気をつけるように」と言った。 おそらく彼は、『バレーボールは手で扱う神聖なボールだから、決して足蹴にしてはならない』とでも思っていたのだろう。 後日バレー部の人間がボールを蹴っているのを見たが、その人は何もおとがめを受けなかった。 殴るのなら、そういうバレーボールに命をかける人にこそすべきである。 ぼくのような授業でしかバレーボールをやらない人間には通用しない。
さて、その教師Sのことだが、彼は新米だった。 青春ドラマに出てくる熱血教師を否定しながらも、熱血教師をぼくらの前で演じていた。 何の教育理念も持ち合わせていないのは、当時高校生だったぼくにもよくわかった。 保健の時間には、ウケを狙って、下らないダジャレを連発したり、やたら卑猥なことを口にしたりしていた。 そういう先生に呼応するバカな生徒もいた。 バカな教師とバカな生徒との絡みあい。 これほど面白くないものはない。 かくして保健の授業は、英語の次に嫌いな教科になった。
運動会の全体練習の時だった。 先生が競技の説明をしていた時に、2年生がふざけていた。 それを見た教師Sは、さっそくそこに乗り込んで、その2年生の頬を引っぱたいた。 Sの頭の中には、『鉄拳制裁ですべてが解決する』というものがあったのだろう。 しかし、このことが大きな騒ぎになる。 3年生のMさんという人が「暴力教師!」と声を張り上げたのだ。 「そうだ、謝れ!」という声が続く。 当時は70年安保が終わり、学生運動が一段落していたが、まだそういう風潮が残っていた。 グラウンド内は非常に険悪なムードになった。 収拾がつかなくなりかけた時、生徒部長のN先生が出てきた。 その3年生とやりとりをしていたが、広いグラウンドの中では聞こえない。 誰もが『何を言い合っているんだろう』と思っている時だった。 放送部の人が「N先生も、Mさんも、みんなに聞こえるように、ここに来てやって下さい」と言った。 今度は他の先生が、「こら、やめんか!」とその放送部の人を咎めた。 結局、わけがわからないまま、この騒ぎは収まった。 成り行きを見守っていたぼくたちは、何か肩すかしを食らった気分になった。 さて、その間教師Sは、というと、一人たじろいでいた。 この一件で、生徒を叩くことしか知らない馬鹿な先生というのが露わになった。
その後、その先生がどういう経路を歩んでいったのかは知らない。 ただ風の噂で、自殺をしたということを聞いた。 赴任先の女子高生に手を出し、そのことを悩んだ末の自殺だったらしい。 教師S、彼は死ぬまで馬鹿だったわけである。
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