これはいつ頃の日記だったろうか?
「落ちこぼれの歌」 旺文社のいう通りにしても、 成績は伸びなかった。 一夜漬けを教えてくれなかったからだ。
旺文社のいう通りにやって、 計画書作りが嫌になった。 でも、就寝という言葉をこれで覚えた。
「赤尾の豆単」のかわりに、 「毛沢東語録」を読んでいた。
旺文社の中間・期末対策は、 ぼくらの学校の範囲とは違っていた。
「ラジオ講座」の時間帯は、 朝鮮語放送の声のほうが大きかった。
むかし使っていたノートに書いてあったが、すべて旺文社の批判である。 今あるかどうかは知らないが、ぼくが学生の頃は「○○時代(旺文社)」と「○○コース(学研)」という雑誌があった。 上の日記を読んでおわかりだと思うが、ぼくは「時代」のほうをとっていた。 小学校の頃はろくに勉強もせず遊びまわっていたのだが、その反動からか「中学に入ったら勉強せないけん」という自覚だけは持っていた。 さて、その当時は学習塾というのはあまり一般的ではなく、勉強というのはもっぱら自分でやっていくものだった。 しかし、ぼくは小学生の頃からほとんど勉強したことがなかったので、その勉強のやり方がわからなかった。 そこで、その勉強のやり方を「時代」に求めたわけである。 それが失敗だった。 そして上の愚痴に続くのである。 高校に入ってからも「旺文社」には拒否反応を持っていて、半ば強制的であった「旺文社模試」は3年間一度も受けたことがなかった。 「おうぶんしゃ」、今でも嫌な響きである。
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