 |
 |
■■■
■■
■ 高村光太郎の家。
岩手に行った折に高村光太郎記念館に行って参りました。結果は閉館中でしたが、公園のような作りのようになっていたので、ズンズンと雪の中を分け入り、晩年、高村光太郎が住んだと言う家を見てきました。実は、一月に発行されたクーネルと言う雑誌で高村光太郎がこの家で読んだある詩がひとつ紹介されていました。不覚にも私はそれを読んで、会社にいながらにして泣いてしまったわけですが、ここでちょっと紹介します。
案内 三畳あれば寝られますね。 これが水屋。 これが井戸。 山の水は山の空気のやうに美味。 あの畑が三畝、 いまはキヤベツの全盛です。 ここの疎林がヤツカの並木で、 小屋のまはりは栗と松。 坂を登るとここが見晴らし、 展望二十里南にひらけて、 左が北上山系、 右が奥羽国境山脈、 まん中の平野を北上川が縦に流れて、 あの霞んでいる突きあたりの辺が 金華山沖といふことでせう。 智恵さん気に入りましたか、好きですか。 うしろの山つづきが毒が森。 そこにはカモシカも来るし熊も出ます。 智恵さんこういふところ好きでせう。
今、こうしてもう一度詩を開いてみて、改めて光景が浮かび上がりました。まさに彼の住み家の周りは栗と松。雪の上に大きないがぐりの殻が無数におちているのが見えました。雪が深いこともあって、展望台にはいきませんでしたが、きっと展望二十里に開けていたことと思います。今、思えば、無理やりにでも行けば良かった。私が行った時はまだ2月だというのに小雨が降っていましたが、見渡す限りの雪の平原が見えたことと思います。ですが、収穫もありました。私が一番見たかった厠にある「光」の文字を切り出した明り取り。それだけは外からですが、見えたんです。冬になると氷点下がざらにある岩手、しかも周囲を見渡しても民家なんてほとんどない。そこで、あの「光」はずっとああやって生活に光を差していたはずなんです。もういなくなってしまった人が残した、生活の光。人生の光。とても印象に残っています。
2004年03月02日(火)
|
|
 |