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■ 「タイクツライフ」。
たいくつだ。 ひとりではなにもすることがない。 午後9時、帰宅。とりあえず、テレビをつけてみる。つけてはみたものの、すぐに飽きる。たいくつが私にまとわりついて、テレビじゃ満足できないようになっている。電話で人と話そうかと思うけれど、先月の携帯料金代二万円が頭から離れず、やめにする。パソコンを立ち上げる。文章を書き、次のHP如何に変えようか思案する。そのうち興に乗ってきて、文章を書き、指南本片手にデザインに苦悩すること数時間。なんとなく満足して手を止め、次に新聞を読み出す。政治?経済?わからないことも多いけれど、動物のこと、病気のこと、街の小さな事件など、ほどよくまとわりついた退屈を感じながら、流して読む。新聞ひとつ、37面あまり。一通り目を通すと、風呂に向かい、掃除を開始する。水を溜め、かたわらで明日の昼食の弁当を作る。あいまに植物と金魚の様子を観察し、「植物の成長は良好、金魚は赤い方が元気がない」などと、家の同居人の具合を案じる。そうしている間に風呂が沸き、ボディソープやシャンプーを風呂場の所定位置に据えたり、布団をいつもの(タオルケット、毛布、掻け布団の順番)ように整える。毎日のように繰り返される退屈の儀式。 そういえば、「退屈から未来は作られる」というような「暇だから、動く力が生まれる」というような曲があった。(もちろんマイナーな歌だけど)暇だから何かをする、飽きるから次の行動を思案する。私は、今、退屈だから、HPを思案することに夢中になり、文章の思案に暮れ、規則的で安心できる毎日を形作り、植物や金魚の様子を眺めている。退屈は、何も生まないようで、実は行動の原動力になっているみたいだ。
退屈だから。 さて、次はなにをしよう?
2003年09月24日(水)
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