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斜めうえ行く「オクノ総研 WEBLOG」
by オクノ総研
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■団結せずに蜂起する力を得た個人
僕は、ネットで文章を書き、自分の文章がコピペされたり、リンクを貼られたり、コメントをつけられたりしている様を観察していて少し思った。
ネットでは、現実社会での繋がりも主体としての個人としてでもない、「個人の持つある一部の特定の思考だけに共鳴する人々の思考の集合体」が力を持ち得るのではないか、と。
僕の思考に対して、全面的に肯定する人は、まず存在しないだろう。
だけど、僕の思考の一部に対しては、共鳴する人は多く存在する。
僕の書いた一本の文章に対しても、完全には肯定できないが、一部は共鳴できる、という人が大半だろう。
そして、僕のある特定の思考、言葉に対しては、異常なまでにネットは反応する。
僕のある特定日の文章には、累積で数万のアクセスがあった。
僕のサイト全体ではなく、特定日の文章に対するアクセスである。
僕の文章に対して、ネット上のあちこちで波紋が起きていた。
その波紋は、ネット上のあちこちでバラバラに起きており、それぞれは連携していなかった。
最初の波紋は、同時多発的ではあったものの、当初は連携していなかった。
だが、時間とともに同時多発的にバラバラに起こった波紋とその反応は、少しずつ連携を見せていった。
バラバラに起こった反応が、それぞれのグループの両方にアクセスしている人々によって、つながりを見せ始めた。
波紋の発端は僕だったのだけれど、時間とともにオリジナルである僕の色は消えていった。
僕は、小さな火種を放り込んだ。
その小さな火種は、あちこちに飛び火した。
当初は、飛び火したそれぞれの炎は小さかったのだけれど、その炎は、他の炎と交わり、大きな炎になっていった。
僕は、このような状況は何度か経験している。
このサイトでも経験したし、メーリングリストでも経験した。
オープンな場でも、クローズドな場でも。
火種としてのオリジナルは、小さいのだけれど、飛び火すると大きな炎となり爆発的な力を得ることがある。
そして、ネットではそのような事態が起こりやすい。
僕は、ある時は意図的に、あるときは意図せずに、そのような波紋を起こしてきた。
ネットワークコミュニケーションの観点からは、非常に興味深い現象なので、意図的に、いわゆる「釣り餌」を投下してみたりもした。
簡単に釣られる人(サイト)も結構多かった。
だが、現実には僕が意図していない時のほうが、炎が巨大化する事が多い。
僕は「釣り師」としてはまだ二流でしかないようだ。
これはいわゆるネットワーク効果で簡単に説明されてしまう現象なのかもしれないし、ライアル・ワトソンが言うところの「100匹目のサル」なのかも知れない。
僕は火種でも何でもなく、ネットで同時多発的に起こった現象のひとつなのかもしれない。
僕は1匹のサルなのかもしれない。
ただ、「100匹目のサル」的現象が、ネットによる脳や思考、意識の共有化により、101匹目からそれが数万、数十万、数百万、数千万に波及していく速度が制御不可能なまでに加速し続けている、と思う。
ネットの辺境に存在する僕が、僕以外の個人がちょっとした火種をネットに放り込むだけで、それが力を得てしまう現象が散見されるようになった。
個人は団結せずとも蜂起できる。
団結していない個人集団、団体として特定できず、組織化されてもいない個人の意識の集団が力を得てしまう。
その意識の集合体を率いている存在はいない。
中心となる個人も組織も存在しない。
集合的「有」意識なのだ。
その集合的「有」意識に参画しているそれぞれの個人は、立場も異なれば、統合体としての個人の意識や思想は異なるだろう。
個人は個人として独立した存在でありつつ、意識の一部分が共有化され、その意識が集合化する。
組織でも団体でもない集合的「有」意識が生まれ、成長する。
そして、そのバラバラな個人の集合体が、世界を変えてしまう力を持ち始めている。
僕のような悪徳コンサルタントとしては、その集合的「有」意識を何とかしてプロデュースし、自分の望む方向に向かわせたい、と考える。
僕は学者でも思想家でもない。
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04月02日(土)
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