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斜めうえ行く「オクノ総研 WEBLOG」
by オクノ総研
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■「エゴキャスト」とそうは受け取らないネットの関係
先日書いた『「「Google」と「MSN Messenger」で武装した集団を前に素手で勝てるか?』にまつわるネット上で反応を観察していて、いろいろと勉強になった。
僕のサイトの通常のアクセス数は1,000/日程度で安定しているのだけれど、その日は4,000/日を超えた。
異常事態にはすぐに気づいたので、僕はアクセスログのチェックを随時行なっていた。
そして、何が起こっているかをある程度、把握できた。
はじまりは、ネット上での信頼度が高い方がブログ上で僕のサイトにリンクを張った事だった。
そのブログの読者の方々が、自分のブログで僕のサイトを取り上げはじめた。
ソーシャルブックマークサイトでも僕のサイトの登録が増えていった。
最初に僕のサイトを取り上げた方のサイトからのアクセスはあっという間に減少していったものの、そのサイトで僕のサイトを見つけた方々のブログからのアクセスが急増していった。
オリジナルはあっという間に消失し、模倣者が力を得ていった。
僕は、『「Google」と「MSN Messenger」で武装した集団を前に素手で勝てるか?』を気合いを入れて書いていたわけではなく、適当に思いつきで日々の感想として書いていた。
気合いを入れて書いている日は逆にアクセスが低い。
気合いを入れて書きつづけると、どんどんとアクセスが下がっていく。
僕が、『「Google」と「MSN Messenger」で武装した集団』に初めて遭遇したのは、2年半前、デジタルキャンパスで有名な某大学の授業にゲストで参加し、お話をさせてもらったたときである。
その大学は、キャンパス内のどこでもWiFiで接続可能だった。
授業に参加していた学生は、学部生、院生が入り混じった100人程度だった。
僕が話をしている間、100人の学生がPCを広げていた。
『「Google」と「MSN Messenger」で武装した集団』である。
当時、僕には免疫がなかったので、いつもどおりにお話をさせてもらった。
質疑応答が相次ぎ、時間切れで授業が終わった後も何人かの学生が僕のところにやってきて、僕は質疑応答に応じた。
僕が話した事について、授業に参加していた学生は感想をブログで書いた。
僕は、それを肯定的に捉えた。
僕は、自分の事がブログで書かれていることについて「晒されている」というネガティブな感覚は全く無く、光栄に感じた。
それから2年半が経過し、『「Google」と「MSN Messenger」で武装した集団』が特殊ではなく、日常風景になった今、改めて書いた、という次第である。
僕はプレゼンテーションや会議のありかたが変わるのではないか、既に変わってしまったのではないか、と感じる。
Googleで検索可能な程度の知識や情報の提供では、商売にならない。
もちろん、参加者の誰もが知っている情報をプレゼンテーションテクニックにより、「共感」へと導く、という手も残ってはいる。
だが、それは僕にとっては敗北である。
結果として、付加価値のある情報は、ネットに乗らないところにしか存在しなくなってしまった。
付加価値のある情報、キーワードを提供しても、あっというまに伝播、共有化、並列化される。
100人のネットで繋がった脳の集合体である聞き手に対し、それを超える付加価値を提供することが果たして可能なのか?
付加価値を提供できたところで、その情報はあっという間に並列化され、付加価値を失う。
特定クライアントに対する提言などの完全にクローズドの場であれば、ネットで情報が伝播されることはない。
だけど、オープンな場での僕の発言は、ネットで伝播され、共有化され、並列化され、淘汰されてしまう。
僕がオリジナルだと主張しても、既に共有化され、並列化された情報は付加価値を失っている。
オリジナルであり続けるためには膨大な情報と思考、時間が必要である。
エディターとクリエイターでは必要とされるエネルギー量が桁違いだ。
エコシステム全体としては、情報が付加価値を持ち続けず、共有化、並列化されることは良い事だと思う。
一方で、僕は本業では情報の付加価値で商売をしている。
必然的にオープンな場での僕は、発言の付加価値を下げざるを得なくなっていく。
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03月11日(金)
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