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斜めうえ行く「オクノ総研 WEBLOG」
by オクノ総研
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■IBMウォッチング 〜500件の特許公開編
「PC事業のレノボへのまるごと売り飛ばし」編に続いて、「500件の特許公開」編。

これは、興味深いテーマである。
「伽藍とバザール」で、言うところの「伽藍の象徴たるIBM」が「バザール化」したのだ。
だが、額面どおりに「IBMは特許を公開することにより、バザール化に突き進むことを決断した」、と読むのは早計である。
IBMはしたたかである。

IBMは、サービス事業への移行を行っている。
IBMは、ソフトウエアのライセンス収入よりも、サービス事業による収益を優先した、という事である。
ソースコードを非公開にして、自力で開発、保守するよりも、オープンソース化して、世界中の皆さんに開発、保守を行ってもらったほうがR&Dコストはかからないし、ソフトウエアの質も高まる。
損して得取れ。
IBMは慈善事業を行っている企業ではない。
あくまでも、自分たちにとって最も有利となる戦略を選択したに過ぎない。

僕の注目ポイントは、「伽藍」と「バザール」の並存は可能か?である。
並存が可能であるならば、どのようにして並存するのか、である。
今回、IBMが行った500件の特許公開は、当然のことながら、IBMの持つすべての特許ではなく、「一部の」特許の公開である。
IBMは一部の特許は保護しつつ、一部の特許は公開した。
これは、「伽藍」と「バザール」の並存は可能か?、という大変興味深いテーマである。

現在、システムの世界では、Linuxを代表格としたオープンソースソフトウエアが元気である。
SI事業者にとって、オープンソースソフトウエアとメーカーブランドのソフトウエアの混在は、保守契約、知的財産権の処理、トラブル時の問題切り分け等が面倒なので、避けたいところなのだろうけれど、その問題はややこしいので、今回は無視。
オープンソースソフトウエアは、一見、無秩序で、組織化されていない世界で開発されているにもかかわらず、きちんと保守され、バグフィックスも早く、セキュリティーホールもいち早く埋まる。
無秩序でありながら、そこには、自己収斂機能ともいうべき、「神の見えざる手」が働く。
実際は、リーナスさんみたいな実質的なリーダーが存在するのだけれど、基本的には、中央集権的、構造的な存在ではなく、中心が存在しない一見無秩序な世界である。

あるオープンソースソフトウエアの基本バージョンがあったとする。
そして、そのソフトウエアユーザーに不満を持つ人がいたとする。
そのソフトウエアはオープンソースなので、ソースは公開されている。
と、するとその不満を持った人は、自分でソースに改良を加える。
オープンソースソフトウエア界のルールとして、オープンソフトウエアに改良を加えたら、そのソースはまた公開しなくてはならない。
そして、更にその改良版のソフトウエアに不満を持った人が、そのソースに改良を加えて改良版を加える。
またまた、その改良版のソフトウエアに誰かが改良を加える。
この無限連鎖である。
その無秩序に秩序を与えているのは、「個人的な必要性」だと僕は思っている。

僕はあえて「個人的な」という形容詞を加えている。
オープンソースソフトウエアは、その存在そのものが、社会学的に見て大変面白い現象である。
「個人的な必要性」が集合して何かを作り上げる。
しかも、その何かは「個人的な必要性」が存在する限り、永遠に完成を迎えることがなく、永久に改良され続ける。
改良が止まったとしたら、それはそのオープンソースソフトウエアにとっては「死」である。
「個人的な必要性」が消滅したとき、そのオープンソースソフトウエアは進化を止め、誰からも必要とされなくなり、「死」を迎える。

その「個人的な必要性」で成立しているオープンソースソフトウエアと「企業の利益」を目的としたメーカーブランドのソフトウエアとが、並存しようとしている。
「個人的な必要性」の個人は、「無数の個人」であり、「企業の利益」の企業は「特定の企業」である。
この相反する意思がどのように融合していくのか?僕の興味はそこにある。

ああ、自分で書いていて、何だか良くわからなくなってきた。
なんだかアタマの整理がつかんぞっ!

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01月23日(日)
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