ID:99799
斜めうえ行く「オクノ総研 WEBLOG」
by オクノ総研
[1220781hit]

■廃れ行く六本木
暇なので、放送大学だか教育テレビだとかを見ていたら、東京の都市の変化について、というテーマについて、いかにもクソまじめそうな都市工学だかなんだかの専門家のオヤジが秋葉原について原稿を棒読みで語っていた。

都市の変遷には3つのパターンがあるそうだ。

@新宿型(行政主導型)
西新宿の高層ビル群(元淀橋浄水場)にみられるように、行政主導で開発が行なわれたパターン

A渋谷型(企業主導型)
パルコや西武といった企業によって開発が行なわれたパターン。丸の内も同じパターン。渋谷は文化を作ろうとしたのに対して、丸の内は企業を集積しようとした点では異なる。

B秋葉原型(ユーザー主導型)
ユーザー主導で変遷をみせているパターン

この番組では、この秋葉原パターンを中心にして、クソまじめオヤヂが棒読み口調で話していた。
秋葉原は、「家電」→「コンピュータ」→「ヲタクアニメ&フィギュア」の街へと変貌してきた。
家電やコンピュータはビックカメラやヨドバシカメラに代表されるカメラ屋系量販店や、ヤマダ電機等の郊外型電器店の台頭により、パソコンのパーツ類まで手に入るようになり、秋葉原までワザワザ出かける必要がなくなった。
結果として、秋葉原は電気街、コンピュータの街からヲタクの街へと変化を見せた、という論調である。
渋谷のワカモノの写真と秋葉原のワカモノ(アブラギッシュ&リュックスタイル)等を比較して、秋葉原の特殊性を棒読みで話していた。
逆に言えば、秋葉原は、ユーザー主導で街が進化「?」していった好例である。
「コンピュータ好き=アニメ・フィギュア好き」という、点にはかなり疑問だけど。

僕は、秋葉原には年に1回も行かない。
バイク盗難の名所なので、恐ろしくてDucatiなんぞでは出かけられないし。
そもそも僕にとって秋葉原に行かないと手に入れられないものなど、ない。
アニメにもフィギュアにも興味ないし。
秋葉原は企業や政府と関係なく、ユーザー(ヲタク)、によって変遷をみせてきた特殊例なのだ、という。

で、僕が気になるのは、今後の六本木周辺である。
僕にとっての六本木は「青山ブックセンター」であり、「六本木WAVE」であった。
文科系の僕にとっては六本木は、天国だった。
だが、先日の青山ブックセンターの倒産により、僕には六本木に行く意味がなくなった。
今の六本木には「青山ブックセンター」も「六本木WAVE」もない。
六本木にあるのは、ラーメン屋とカラオケとキャバクラ。

六本木はもとを辿れば、進駐軍の街から始まる。
米軍のアホどもが集まる街から始まって、クラブやディスコの街になり、それに群がるアホ日本人客とヤクザにより、発展を見せてきた。
以前は冷房すらないクリーム色の日比谷線しか走っていなかったので交通の便も悪かった。
いわゆるインチキお水系、ヤクザとサブカル系の人種とが共存してきた街なのだった。

が、そこに六本木ヒルズができて、様相が変化を見せてきた。
企業(森ビル)主導の「これが文化ですよ」的な「サブ」ではない、おばちゃま&観光向けカルチャーの街に変貌してしまった。

80年代までの尖がっていたいかがわしい六本木はもうない。

六本木唯一のパチンコ屋であったコナミ経営の「デルカデルヨ」(本当は全く出ない最悪の店だった)はドンキホーテに変わっちゃったし。

六本木は六本木ヒルズに飽き足らず、防衛庁跡地の再開発計画もある。
どうせ、六本木ヒルズと同じようにラグジュアリーブランドのテナント等が大量出店するのだろう。

六本木は僕にとって就職上京をして、初めて接した東京の街であり、「関西は東京にはかなわんなあ〜」と感じさせた街だった。
六本木3丁目の「墓場」の周りは僕にとってパラダイスだった(墓場の周りのバーのことを「墓バー」と呼んでいた)。

僕にとって、六本木ヒルズのTSUTATAやスターバックスは妙に落ち着かない。
なんだか、押し着せられている「これがトーキョー文化ですよ」的なものを感じる。
「サブ」じゃない「カルチャー」。


[5]続きを読む

08月02日(月)
[1]過去を読む
[2]未来を読む
[3]目次へ

[4]エンピツに戻る