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斜めうえ行く「オクノ総研 WEBLOG」
by オクノ総研
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■青山一丁目を都会にするため、ホカ弁屋を誘致したい
僕の仕事場は青山一丁目、という地名だけを聞くと格好良さげな場所にある。
青山一丁目という駅も、銀座線、半蔵門線、大江戸線が乗り入れており、交通至便。
渋谷でも六本木でも赤坂でも新宿でも表参道でも、すぐに出ることができる。

僕は港区の青山一丁目で働く外資系コンサルタント。

などと、言えばテレビドラマの世界のようにも聞こえないこともないだろう。

が、しかし。

僕がどろどろのでろでろのへろへろなのは周知の事だし、しょうがない。
僕の日常生活をウソ八百で塗り固めれば、かっちょ良くならんでもないが、今更後リ繕ってもしかたがない。

ところが、青山一丁目もなにげに悲しい街なのである。
地名負けしまくりの街なのである。

港区そのものも、新橋とか浜松町も港区なので、港区だからといって格好いいわけでもない。
麻布だって、六本木ヒルズができるまでは麻布十番温泉と麻布十番祭りだけが取り柄の街だったし。
「およげたいやきくん」で有名なたいやきもあったけど。
アークヒルズができる以前の現アークヒルズ近辺については言うまでもない。
まあ、港区といっても決してこじゃれた街だけではないのだけれど、「青山」という言葉の響きからは林真理子的に田舎モノをくすぐる何かがある。
が、林真理子的青山、南青山とは実質は南青山というよりも、実質的には渋谷区神宮前を言う。
実際の青山、南青山はまあ、良いとしても北青山は単なる時代(バブルの地上げ)に取り残された街である。

青山一丁目というのは、そのイメージとはウラハラに都心の真空エリア。
246をはさんで片方を「ジャイ子様」が住む赤坂御所がドドーンと占拠しているので、246の片一方側にしか街がない。
街としてのエリアが通常の半分しかないのである。

青山一丁目という駅名は、東京近辺に住んでいれば日常的に耳にするだろう。
だが、青山一丁目で地下鉄を乗り換えることはあっても、地上に出たことのあるヒトはほとんどいないと思われる。

青山一丁目の名物など、せいぜいイラク大使館くらいのもの。
青山一丁目に用のあるヒトなどほとんどいないだろう。

よって、青山一丁目の地上はとても寂しい。
何もない。

昼メシを食うお店も大変限られているので、僕は裏通りにある夫婦二人でやっているお好み焼き屋とタイ人がやっている寂れたタイ料理屋を交互に利用している。

夜になると、青山一丁目はもっと寂しくなる。
ただでさえ、食べるところが少ないのに、その数少ないお店は早い時間に閉店してしまう。
青山などという地名と、しかも一丁目なのだから、裏通りにはコジャレたお店が・・・というイメージがあるが、そんなものはない。
都内で最も地価の高い住宅地のひとつでありながら、ケロヨンが立っている薬局があるような街なのである。
あるヒトなど、青山一丁目の裏通りを歩いていてとボソッと「千と千尋の世界だな・・・」。
まあ、それほど都心とは思えない、寂れた街なのである。

僕は基本的に夜は遅くなることが多いので、会社の仲間と夕食をともにして、また会社に戻って仕事をすることが多い。
毎日、夕方くらいになると「よ〜し、今日は早く帰るぞ!目標午後9時退社!」などといった希望的観測に基づいた宣言をする。
「なので、今日は夕食は家で食べよう!」
ところが、9時を過ぎ、10時を過ぎたころになって、「あはは、やっぱり今日もタクシーかな、ははは、ごめん、ごめん」みたいな状況になる。

で、仕方なく夕食を食べよう、ということになるのだけれど、夜も10時を過ぎると選択肢は3つしかない。

@コンビニの弁当
A吉野家の牛丼
Bココイチのカレー

僕はコンビニの弁当が嫌いなので、僕にとっての実質的な選択肢は2つしかない。
吉野家かココイチである。

と、いうことでさっきも吉野家で牛丼を食べてきた。

青山一丁目を都会にするため、ホカ弁屋を誘致したい。
05月26日(月)
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