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斜めうえ行く「オクノ総研 WEBLOG」
by オクノ総研
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■「ラジオスターの悲劇」とZTTレコード
「東京ラブ・シネマ」といういわゆる月9ドラマのキモのシーンで流れる曲。
「ラジオスターの悲劇」。
1979年、バグルスの曲である。
僕にとってこの曲、「ラジオスターの悲劇」は特別な曲だ。
バグルスは僕の10代から20代前半の音楽以外に何の能力も持たないアホガキ時代に、最も影響を受けたミュージシャンだからだ。
バグルスのボーカルはトレバー・ホーンという。
トレバー・ホーンはバグルス解散後、イエスのメンバー/プロデューサーとなり、名盤といわれる「90125」を世に送り出す。
1980年代、トレバー・ホーンはレコードレーベルを設立し、僕の人生を誤らせていった一連のアルバムを次々に発表する。
ZTT Records。
トレバー・ホーンのレーベルである。
このZTT Recordsこそ、僕の人生を誤らせた主犯である。
フランキー・ゴー。トゥー・ハリウッド、プロパガンダ、シール。
そして、アート・オブ・ノイズ。
学生時代の僕はZTT Recordsから発売されるアルバムは全て買う、というアホだった。
ミュージシャンでアルバムを選ぶのではなく、プロデューサーで選ぶ。
今となってはごく普通の事だけれど、今から十数年も前には画期的な事だった。
僕はレコード屋でひたすら参加アーティストのクレジットをチェックし、自分のお気に入りのプロデューサーが参画しているアルバムを買い漁っていた。
トレバー・ホーンはそのなかでも特別な存在だった。
ZTT Recordsはやたらと12インチアルバムを連発した。
○○ミックス、とかエクステンデッド・バージョンとかの名目で同じ曲を様々なバージョンで、手を変え品を変え出してきた。
ZTT Recordsはひとつの音源から様々なバージョンを作り出し、アホなりスナーに買わせる、というマーケティングに長けた商売人レーベルとされていた。
12インチシングル全盛の時代だ。
12インチシングルはLPの33回転に対し、45回転なので音が良い。
DJがLPではなく、12インチシングルを好むのはそのせいである。
ZTT Recordsは日本で言えば、アルファ・レコードみたいな存在だろうか。
アホな僕はそれらの「ほんのチョッと変えたバージョン」の12インチシングルをせっせと買い漁っていた。
当時、音楽スタジオでバイトをしつつ、スタジオエンジニアをめざしていた僕にとっては、トレバー・ホーンの一連のリミックスは変え難いテキストだったのだ。
ZTT Records所属アーティストのなかで、アート・オブ・ノイズは来日し、「夜のヒットスタジオ」という当時の人気音楽番組にも出演した。
アート・オブ・ノイズは謎のバンドと呼ばれており、バンドとしての実態はなく、トレバ・ーホーンのスタジオワークによる架空のバンドだと思われていた。
その、本来存在しないはずのアート・オブ・ノイズが来日したのである。
「夜のヒットスタジオ」に出演したアート・オブ・ノイズリーダーのJJはギターソロのクライマックスの時に、ギターを裏返した。
ジミヘン的な特殊奏法を披露したワケではない。
ギターソロなのに、ギターを裏返しても音が出ていることをアピールしたかったのだ。
つまり・・・。
口パク暴露。
ギターを裏返して、どう見ても演奏できない状態でもキチンと音が出ている。
当時、ZTTレコードのアーティストはスタジオワーク主体のバンドであり、ライブでの演奏はほとんど不可能、とも言われていた。
僕もインディーズでライブ活動を行ってはいたが、スタジオワーク主体のバンドだったので、その状況は理解できる。
僕のバンドもライブでの演奏能力はひどいものだったのだ。
そもそも、演奏能力とクリエイティブとしての音楽制作能力には直接的な関連性はない。
コンピュータにより、演奏能力向上のための苦行が必要な演奏能力がなくとも、センスさえあれば、素晴らしい音楽を制作できる時代が到来しつつあったのだ。
コンピュータとサンプラーの登場により、音楽制作に必要な能力はセンスのみになった。
当然、異論もあるのだろうけれど。
僕はその中でも、最もライブ演奏が困難とされる、The Art of Noiseを大阪の毎日ホールで見た。
The Art of Noiseはちゃんとすした演奏していた。
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05月05日(月)
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