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いぬぶし秀一の激辛活動日誌
by いぬぶし秀一
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■大田区予算、渋々賛成討論
本日の討論のトリと務めます、たちあがれ日本の犬伏秀一でございます。
私は、ただいま上程されました第1号議案平成24年度大田区一般会計予算、および第2号から4号に至る各特別会計予算に、渋々賛成の立場から討論をいたします。
平成24年度一般会計予算歳出合計は、2264億4779万1千円と、対前年予算比マイナス2%と厳しい財政状況を反映しているかのように映りますが、平成22年度決算確定額で比較しますと104%、すなわち4%の増額となっているのです。
しかし、世の中では、どこでも緊縮財政が叫ばれ、あらゆる事業の削減が「理念なき」民主党政権によりすすめられているのです。
私ごとですが、昨年3月11日の東日本大震災発災以来、被災地に4回、延べ10日間滞在いたしました。そこで、私自身の考え方にいささかの大きな転換が訪れたのです。それは、東京都医療救護班の一員として、気仙沼市、陸前高田市の避難所を巡回した時のことであります。あまりの悲惨な光景に、言葉に表せないほどの焦燥感の中、涙をこらえながら共に働いた都立病院の医師、看護師、東京都職員らの懸命な姿を見続けてまいりました。早朝から夜間に及ぶ厳しい勤務条件、無論残業手当など望むべくもありません。
さらには、東京都が管理調整を行っていた気仙沼市保健福祉課に設けられた救護班に、全国から公立病院、大学病院のスタッフが毎日到着いたしました。
私は、公立病院は民間に比べて赤字体質であるあるから、効率化すべし、との立場を永年貫いてまいりました。また、地方自治体職員も徹底して削減すべし、との考えでもありました。すなわち「小さな政府」のミッションであります。
しかし、全国公立病院の医療スタッフの献身的な被災地支援の姿に接し、そして彼らと共に働いた時間を顧みるときに、公立病院だからこそ、被災地に人を出せたと痛感したのです。さらには、被災地の宿泊場所で、偶然、見慣れた大田区の腕章をした防災服の区職員に出会った時には、懐かしさと共に、なんとも表現できない頼もしさを感じたのです。
地方自治体職員のあり方、公立病院医療職員の効率化について、改めて考えるべきであると痛感したのです。
いま、日本中が削減、削減、公共投資.は激減しております。私は、この被災地の経験を踏まえ、今日、我が国のこのような状況に警鐘を鳴らしておきたいと思います。
それは、バブル崩壊以降、我が国が行ってきた規制緩和や公共投資抑制が、実はデフレ対策ではなく、インフレ対策の手法であったことであります。いま我が国は未曽有のデフレ状態にあります。デフレとは、供給過多で需要が少ない状態であります。そこで、規制を緩和すれば、供給は益々増え、デフレが促進されるのは誰でもわかるはずでした。
また、デフレでは民間企業の投資意欲は抑制され、結果、銀行には金が余ることになります。そこで、橋本内閣以降、公共工事を大幅に削減し、民主党政権になり「コンクリートから人へ」という意味不明の合言葉でさらに公共投資を削減したことは、バカも休み休み言えと申し上げたいのです。
すなわち、民間の需要つまり投資意欲がないデフレ状況下では、供給過多と需要のアンバランスを埋めることが重要であると、かのケインズ先生もおっしゃっているのです。しかるに、この差を埋め、需要と供給のアンバランスを是正するのが公共投資であるはずでした。
まるで、公共投資は悪のような論調が民主党政権下だけでなく、バブル崩壊後の自民党政権下でも行われていたことが我が国の不幸でした。
大恐慌を乗り越えた米国ルーズベルト大統領の財政アドバイザーであったマリーナ・エクルズしかり、我が国を大恐慌から救った高橋是清しかり、彼らの取った政策は積極公共投資でありました。
エクルズが残した名言があります。
「戦争から人命を守るために使われると同じ政府債務が、平時においては失意と絶望から人命を守るために使われるのである。戦争を戦うために政府の能力には制限がないのと同様に恐慌と戦う政府の能力にも制限がない。」
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03月27日(火)
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