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いぬぶし秀一の激辛活動日誌
by いぬぶし秀一
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■福島県いわき市より帰還!
昨日より「頑張れ日本全国行動委員会(会長:田母神俊雄元航空幕僚長)」の活動として、原発風評被害に揺れる福島県いわき市に救援物資を届けてきた。
この計画を知ったのは、昨日の朝8時頃。仲間の区議会議員である小坂英二荒川区議のつぶやきだった。「出発は本日9時すぎ」とある。こいつは急がねば。さっそく手分けして地元の有志に物資を集めて頂いた。
約1時間半の間に、なんとバネットバンが満杯になるほどの物資が集まった。これを集合場所の、世田谷区八幡山の駐車場まで運ばねばならぬ。私が運転すれば、その車を戻せない。すると、ご近所の社長さんが、運転手を快諾してくださった。
集合地には、4トントラック2台、2トントラック1台、バン2台の合計5台が集結した。ボランテイアスタッフが10名ほど。仲間の区議が私を含め4名。事務局である日本文化チャンネル桜の社長、カメラマンなど大部隊での出発となった。
昨日の妻代筆の日記にもあったが、常磐道守谷サービスエリアでは感動的な事件(?)があった。「緊急物資輸送中」と大書された車を見て、品のいいご夫婦が私に話しかけてきた。「これから、救援物資を持っていわきにいきたいのだが、私たちは入れないかもしれないので持っていってくれないか?」とのこと。
どなたかお知り合いに渡すのかと思えば、なんと「誰でもいい」と。高級外車のトランクや座席からは山積みの食料、トイレットペーパー、おむつなどが出てきた。うかがえば、ご自宅の世田谷から川崎の倉庫型スーパーで買い、とにかく北へ向かったのだそうだ。そこで私たちにあったのだ。「よかった守谷で休憩して」と喜ばれた。
ご夫婦の荷物を移し替えていると、中国系と思われるご婦人が声をかけてきた。「私たちの荷物も持って行って」と。同じく何か役にたちたいと出かけてきたのだと言う。ありがたくお預かりしたが、あまりのこの方々の優しさに涙が止まらなかった。人間捨てたもんじゃないな。ありがとう、匿名の皆さん!
水戸から先は一般車両は通行止め(我々は緊急車両の許可済み)のため、スムーズに走れた。ありがたいことに緊急車両は、有料道路代が無料だ。高速を降りると、道路の陥没、家屋の倒壊など、いよいよ被災地に入ったと感じる景色がはじまった。
ただ、テレビで見るような悲惨な状況ではなく、信号機も機能しているし、一部ではネオンまでついていたのは違和感を感じた。いわき市周辺は、地震の被害もさることながら、原発の放射能風評被害のほうが大きいらしい。
放射能レベルが少し高いとのことで、物流トラックが入ってくれないそうだ。まずは、原発に近い楢葉町の方々が避難している中央台南小学校へ向かった。こちらは、東京電力が支援していることと、昨日自衛隊が物資を置いていったこともあって「水はいらない」とのこと。それでも副町長さんが出迎え、必要な品を提示され降ろした。
次は、福島県いわき地方振興局長の先導で、原発30キロ範囲ぎりぎりの場所にある特別養護老人ホーム楽寿荘へ向かった。少し高台にある施設にむかう道路の両脇は、フェンスが無残にまがり木々は倒れている。こんな高台まで津波が‥と言葉を失う。
施設は、健在だった。施設のすぐ手前まで津波が来たが、海側の旅館の建物が最後の砦で津波を止めてくれた、と職員さんからうかがう。お借りしたトイレは断水のため、川の水をためおき洗面器で使用後流すという方式だった。勿論、川の水は高台から下まで職員さんが汲みにいくのだそうだ。救援物資を降ろし次なる場所へ。
県の局長さんは、いわき市の物資集積場である競輪場を提案されたが、今回の事務局である日本文化チャンネル桜の社長が「直接手渡し」を主張され、「老人ホームいわきふるさとの楽園」へむかうことに。
老人ホームで物資を降ろしていると、人の良さそうな初老の男性が話しかけてきた。「少しあまったら私たちにも下さらないだろうか?」とのこと。この方は、この高台にある地域800世帯の自治会長さんだ。「市役所からは、物資が届かない。地域の若い人たちは避難して、高齢者ばかりが残っていて、高台なので、下に降りて給水車から水すらもらえないのです。」と窮状を訴えられた。
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03月20日(日)
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