ID:98044
いぬぶし秀一の激辛活動日誌
by いぬぶし秀一
[1480528hit]

■議会改革は制度ではない、議員の意識改革から!
 鹿児島県阿久根市では、あまりの厚遇の市役所職員の賞与や議員報酬につき、専決処分で減額した竹原信一前市長がリコール成立で失職し、出直し選挙では破れてしまった。また、自らの公約である「10%減税条例」に反発した市議会議員の解散請求を自ら主導した、名古屋市の河村たかし市長は、市長選挙で圧勝し、議会も解散されてしまった。
 いずれの首長も手法は違うが、首長としての政策実現に「今の議会が邪魔だ」というスタンスは同じであろう。はたして、これが二元代表制の姿だろうか。無論、阿久根市長のように気に入らないから議会を招集せずに、専決を乱発するのは問題である。が、であっても、首長の大きな権能である専決の乱発は、たとえそれが、民意であっても、もはや「衆愚型」独裁者と言えよう。
 また、河村たかし市長は3月に行われる市議会議員選挙において「減税日本」なる地域政党から候補者を38名擁立することを発表された。名古屋市議会の定数は75名なので、全員当選すると、過半数を擁することになり、市長の政策は「なんでも通る」ことになる。
 これも二元代表制で問題ではないだろうか。いま、多くの自治体において、オール与党化の結果、議会が「監視役」として機能していないことが問題となっている。であれば、河村たかし市長の行おうとしていることは、「民意」という名の、やはり「独裁」であろう。
 このように、地方議会が国政をまねて与党会派と野党会派にわかれ、与党はなんでも「賛成」の追認期間または諮問機関になりさがり、野党は「なんでも反対」のアジテーターの役割しかもっていないとするならば、地方議会に多額の税金をかけて運営するのは無駄である、という結論も見出せよう。
 我孫子市長を3期12年務めた福嶋浩彦氏(現消費者庁長官)は、12年間の任期中、一度たりとも予算が一回で議会を通過したことがなかった、と自慢されている。そして、「安孫子市議会が正常に機能している結果だ」と述べられる。
 東京都小金井市議会では24名の市議会議員が8の会派にわかれていて、理事者は議案説明に相当緊張すると聞いたことがある。ちょっと議会対応をしくじると、すぐさま市長側提出議案は否決されるそうだ。この緊張感こそ、二元代表制の地方議会に求められるのではないだろうか。

6 東京特別区の歴史的特殊性
昭和22年、地方自治法の施行により、都の区は新たに特別区となり、特別地方公共団体として位置づけられた。特別区には、原則として市に関する規定が適用され、区長も公選によるものとされた。しかし、都は、特別区について条例で必要な規定を設けることができるとされ、さらに、従来から都が処理していた事務の多くは引き続き都が行うとされた。
また、特別区配付税条例により都区間の財政調整制度が発足し、配付税を分与することで、特別区相互間の調整を図ることとなった。昭和27年、自治法の改正により、区長は公選制から都知事の同意を得て区議会が選任する議会選任制に改められ、特別区の自治権は大幅に制限されることとなった。特別区の事務は義務教育、公園等の10項目に制限され、これ以外の市の事務は都が処理することとされた。このように、特別区は大都市の内部的な特別地方公共団体であると位置付けられ、都が特別区の区域内において市たる性格を併せもつとされた。
 さらに、この改正によって、特別区財政調整交付金による財政調整が行われることになった。これは、特別区の財源不足額について、都の一般会計から平衡交付金を交付するものだ。 昭和40年、自治法の改正により、特別区の事務は限定列挙から一部例示列挙に改められ、福祉事務所に係る事務等が特別区の事務とされた。さらに、財政上の措置として今日の都区財政調整制度が設けられた。
 その後、各区において区長の公選制復活を軸とした自治権拡充運動が展開され、昭和50年の自治法の改正により、区長は再び公選制となり、特別区は都に留保されたものを除き、原則として一般の市の事務及び保健所設置市の事務を処理することとされるなど大幅な改正が行われた。

[5]続きを読む

08月23日(火)
[1]過去を読む
[2]未来を読む
[3]目次へ

[4]エンピツに戻る