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いぬぶし秀一の激辛活動日誌
by いぬぶし秀一
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■サイパン・テニアン慰霊の旅 NO2
 生きては帰れない、それでも祖国のために命をかける。決して戦争を美化するつもりはないが、彼らの純粋な国を想う心に、心より敬意と感謝の祈りを捧げたい。



 テニアンでの慰霊も終盤になったが、天気予報によれば台風19号が近づいているらしい。セスナ機が欠航になる前にサイパンに戻ろうということになり、バスに乗車した。

 ところが、なんとわれわれがチャーターしたバスが坂道を上れずにエンストをしまった。そこで、私は大声で「降りてみんなで押そう」。坂道を登りきれば下り坂で、エンジンがかかるかも知れないと思ったのだ。



 さすが、西村門下生である。誰ひとり文句も言わず、全員降りてバスを押したのだ。(西村先生も!)が、上りが急なことと、バスが重すぎて動かない。すると、中国人だという若い運転手が「知り合いのところまで走る」と、走り出した。実は、テニアンは携帯電話の圏外が多く、この場所からは連絡がつかない。



 ただ、待っていても仕方がない。ガイドさんに聞けば、飛行場まで8キロほどらしい。当初の帰島予定までは2時間ある。8キロなら2時間で行ける。よし歩こう。みんなで、徒歩行進を始めた。歩きながら、みんなで「英霊が帰らないで」と言っているのかな「英霊が行進した辛さにくらべたらどうってことないよな」等と楽しく語りながら、山道を歩いた。

 30分ほど歩いただろうか、遠方からバスが見えた。あの中国人の青年が戻ってきてくれたのだ。いつもは「シナ人」等と言っているのだが、この時はかれの素早い行動に全員が感謝した。ありがとう、青島出身のロジャー!



 無事飛行場に到着して、セスナに搭乗した。帰りの便は西村先生と同じだった。気のいい米国人パイロットに「北朝鮮まで頼む!」と、冗談で言ったら「刑務所に入れられちゃうからダメだ」と、真顔で答えられてしまった。

 早目にホテルに戻ったので、慰霊の旅ながら、暫しお許しを頂き、ホテル前の海とプールに飛び込んだ。西村先生は、プールのウオータースライダーがお気に入りのようで、何度もチャレンジされていた。




 さあ、いよいよ明日の早朝は帰国だ、と思っていたら西村先生の秘書さんが「台風で欠航。帰国は一日延びます」と、情報を持ってきてくださった。ホテル側の好意で、同じ部屋でもう一泊一人50ドルでいいという。アチャー。

(土嚢で水を防ぐホテルフロント)

 これまた、英霊が「もうちょっといてくれ」と止めているのではないかと思ってしまう。

10月05日(日)
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