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いぬぶし秀一の激辛活動日誌
by いぬぶし秀一
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■議会改革は制度ではない、議員の意識改革から!
首長提出議案が原案可決されるからと言って、議会が機能していないと結論付けるのは短絡的だとの意見もあるが、この点については様々な議論がなされている論点でもあろう。
区民や各種団体からの要望は、公開の場での議会では議論されず、所謂与党会派に持ち込まれ、各会派から区長サイドにその実現が要求される。とすれば、区政に対する予算要望などを持ち合わせていない、事業者や区民は区政への関心が薄れることが容易に考えられる。このことは、大田区長・区議会議員選挙の投票率が年々下がっており、直近では43.29%になったことにも表れている。
このような状況から、大田区における区長と区議会の課題は、より公開の場での議論をすすめ、多くの区民が区政へ興味を持てるようにすることであることは、誰しもの異論のいないところだろう。
3 首長は大統領か総理大臣か
「議院内閣制」は、英国連邦系諸国や西ヨーローパの多くの国で採用されており,我が国の内閣も,この制度になっている。「議員内閣制」は内閣が行政権を持ち、多数党の党首が総理大臣になる。そして、内閣が議会に対して責任を持ち、信任を失った 内閣は総辞職しなければならない。議員内閣制においては、制度的には、主権者の代表 である議会が行政権を監視し、内閣が国民の信託に違反した場合にはその責任を追及することが出来るため、責任政治が補償されるといわれている。 しかし、実際には、自らの政党(または友党)から選出した内閣を、同じ仲間である与党議員が追及することはありえない構図である。したがって、内閣に対する国会の責任政治を担保するという制度は、実際には機能していないといえる。そのようない意味では、国政においては与党がほとんどの権限を持ち、立法を含め国政のすべての責任を負っている。
一方、地方議会では有権者(区民や市民)が地方議員を選び、さらには、直接その自治体の 首長を選ぶことができる。つまり、首長と議員はそれぞれが有権者の代表であり、対等の立場でお互いが相手を監視し正しい方向に進むようにすることが、二元代表制の本来の姿である。
とすれば、首長は国政における総理大臣よりも、制度的には大統領に近い存在であると言えよう。実際に馬渡剛によれば『首長と議会の二元代表制はGHQが大統領制のようなものを根付かせようと導入したもので、もともと対立を予定していた。』 としている。
しかし、米国に代表される大統領には、議会に対して教書を送付することは出来ても、予算案を作成することは出来ない。その意味では、予算の編成権が首長に専属されている我が国の地方自治制度は、大統領制よりも権限の強い制度であると言えよう。
4 地方議会に与党と野党が理論上ありえるのか
上述したように、大統領より強い権限、特に予算の編成権を与えられた首長に対して、議員は「与党」を名乗ることにより、その支持者らの要望に「予算獲得」という手段により簡単に応えることが出来ると考えられる。
首長は自らの政権の長期化を図り、そのためには一人でも多くの与党議員をかけることが「合理的選択(J.M.ラムザイヤー) 」であるし、執行機関の地方自治体職員にしても、いちいち細部まで説明しなくても「賛成」してくれる与党議員が過半数確保できれば、議会対策が容易くなりありがたいことだろう。
反面、そのような与党と首長の馴れ合いの結果、本来の議会の監視機能は議会自ら封殺してしまい、少ない野党議員が「吼えたところ」で、すべての議案は可決、承認されてしまうことになる。
これは、本来、地方自治法が求めた「二元代表制」の姿ではない。ましてや、国政政党そのままの地方議会の「会派」には、多くの弊害はあっても、住民にとっての利は何ひとつない。
したがって、理論上はありえる「首長与党」は、名乗るべきではなく、それぞれの議員が住民の信託のもと是々非々、議会としての権能を駆使して、首長や執行機関を監視し、必要な立法機能を行使すべきだと考えられる。
5 地方議会は必要なのか(機能しているのか)
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08月23日(火)
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