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窓のそと(Diary by 久野那美)
by 久野那美
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■役者は台詞のことばかり考えてるわけじゃない。
ということがよくわかりました。私が間違ってました。ごめんなさい。

私は、初対面のひとが出会うシーンが好きで、それこそ演劇の醍醐味と思ってるので、誰かと誰かが出会うシーンをついつい作ってしまうのですが、これがなかなか難しいのです。今回も、登場人物同士の距離がうまくとれなくて、役者さんもしっくりこなくて悩んでる感じで何回か稽古してみてもどうもうまくいかなくて・・。

思いきって、また、台本を離れてみることにしました。

「とにかく出会うこと。絶え間なく相手に関わること。言葉は基本的に話さない。声は出してもいい。そうやってて、そのうち言いたくなれば言いたい台詞を言ってもいい。」というルールで稽古をしました。こんな稽古によくつきあってくれるものと思いますが、片桐慎和子さんは普通にやってくれます。今回、一人芝居なので、相手役すらいないというのに。相手が反応しないということは、リアクションが無限に想定されるということな訳で、四方八方に気をくばらなくてはいけません。芝居の稽古というより、野生動物の巣立ち後の訓練みたいなものです。しかし、このひとはこういうのがものすごく得意なのです。野生動物に近いのかもしれません。

何を考えてるのか全くわからない相手と出会って関係を築くまでの、つまり、この物語が始まるまでのできごとを、ひとりでやって見せてくれました。私は、ただそれを見ていました。
知らなかったことが次々と明るみにでてきました。忘れないようにメモしました。

私が「台詞なしエチュード」と呼んでいるこの稽古は、昔、「パノラマビールの夜」というお芝居をやったときに、ものすごく時間のない中で台詞以外の言葉の練習をするために始めました。やってみると役者さんたちは台本を読んだり、私のつたない説明を聞いたりするより断然楽しくやってくれることがわかったので、それ以来、稽古に行き詰ると必ずするようになりました。見てると永遠にやり続けたくなるくらい、面白いのです。台本てなんだ?セリフってなんだ?と悩みます。

この稽古は、いろいろ考えて動くのは役者だけで、演出家はただ見ているだけです。まず、「ことば」を決めます。それは、たいてい、そのとき稽古している台本の中に頻繁に出てくるものを使います。「パノラマビールの夜」のときは、ピーナツとか箱とかで、「ここはどこかの窓のそと」のときは、本でした。役者さん二人に舞台で出会ってコミュニケーションをとってもらいます。台詞は一切禁止です。台詞の代わりに交わしてもいいのは、指定された「ことば」である「もの」だけです。
何回かやりましたが、名作がたくさん生まれました。そういえば、このことを日記に書いてませんでした。そのうちまた書こうと思います。文章で書いても面白さが全部伝わらないのが悲しいところです。

話はもどりますが、いつもは役者二人でやるところを、ひとりで、「ことば」の代わりをする「もの」があるところを、自分の体だけを使って、やってもらいました。
台詞があると、台詞の想定する範囲のことしか舞台の上に存在しなくなってしまうので、台詞を書いている私の知ってる範囲のことしか起こらないことになります。それがまずいのではないかと思ったわけです。
やってみて。たしかにその通りでした。私は知らないことが多すぎました。役者って、台本に書かれていないことを知ってたりするのです。以前から、そうなのではないかとは思っていましたが、今回確信しました。しかも、それをとても楽しそうに確認するのです。

あまりに楽しそうだったので、終わってから、「楽しかったですか?」と聞いてみました。片桐さんは「楽しいです。やってみないとわからないこともいろいろわかっりましたし。」と言いました。なるほど。書かれてないことはやってみればわかるのですね。

わかったことはいろいろあります。


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09月23日(金)
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