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窓のそと(Diary by 久野那美)
by 久野那美
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■ささやかで、ちょっと贅沢で気持ちのいいこと
素敵なお芝居を観てきました。
たぶん。いえ、きっと。

だから、わたしはなんとかしてそのことをここに書きとめておきたいのですが、どうにもうまくいかないので困っています。観てきたのは先週の水曜日で、今日は今週の金曜日です。9日経ったのです。9日たったのですが、まだ困っています。書きながら考えようと思って、とりあえず書き始めてみました。書き始めてみましたが・・・・・・・・・・・・。

書くことがないのです。そうか。だから困ってるのです。

そのお芝居の上演時間は50分で、私は50分間、お芝居を観ていたのです。
最初から最後までぜんぶ観たんです。

私はこれまで、お芝居を見た感想を述べるというのは、そのお芝居の上演中に自分が何を考えたかを述べることだと思っていました。だから、「お芝居を観るのに現を抜かして別のことを考える暇がなかった」という非常事態をどのようにとらえていいのだかわからないのです。

もちろん。自分の創ったお芝居は最初から最後まで見ています。
稽古中も、本番も、本番も全回客席で見ます。
すべてが私仕様になっているので、とても観心地がいいからだと思います。もしかしたら、そのために自分でもお芝居を創るのかもしれないと思うほどです。

だけど、他の方の作ったものを観てるとき、それがどんなに素敵な作品であったとしても、私は必ずどこかでふっと意識をなくしてる時間があるのです。
正確に言うと意識は(たぶん)あるのですが、何か別のことを考えている時間が。洗濯物をたたんでいるときのように。そしてその「別のこと」は、そのお芝居を観ていなければ考えることができなかったことである場合が多いので、私にとって、「よいお芝居を観た」ということは上演時間中に「いいことを考えた。」ということとイコールであることが多いのです。

けれども。

そのお芝居が上演されている間、私はずっとそのお芝居を観ていました。
50分間、お芝居を観ていたのです。
分刻みで可笑しくてしかたなくて、「ふんふん、それで?」って思い続けて、それを繰り返しているうちに終わってしまったのでした。
ムラなく最後までやり遂げる、というのはとても気持ちのいいことです。
とっても気持ちのいい状態でうちへ帰り、そのことを書きとめようと日記を開いて書き始めてみてはじめて、「何を書いていいのかわからない」状態に気づいて困ってしまったのです。書くべきことがないのではないか、なのに何かを書こうとしている私はずるいのではないか?と思えてきたり、でもそういうことならこの類の「心地よさ」について永遠に書き記すことはできないということになってしまう・・というジレンマが沸いてきたり。

とりあえず、50分間ずうっと何を観ていたのかを書いてみます。

「音太小屋」という天六の小さなスペースで上演された、田口哲さんと佐野キリコさんの「眠っちゃいけない子守唄」という題名のお芝居でした。戯曲は別役実さんが過去に書かれたものです。舞台の上では、なんだかとっても素敵なことが起こっていました。二人芝居ですから、舞台の上には二人の役者さんがいます。そして、テーブルと椅子と、食器棚と、電話台と黒い電話機があります。ひとりぐらしの男のところに、話相手をするために、女がひとりやってきます。彼女はそういうお仕事なのです。そういう協会に所属しているのです。
ふたりはいろいろと話をします。それはもう、いろんな話です。主に話すのは女(佐野キリコさん)の方です。男(田口哲さん)は、女の話に相槌をうったり、質問をしたりします。
そこでは何か、ささやかで、ちょっと贅沢で気持ちのいいことが行われています。

なんというか・・・それは、たとえば小粋な室内楽。
旋律を奏でる佐野キリコさんの声は、あたりの空気をいい按配に膨らませたり揺らしたりして音色や音量やテンポを丁寧に整えていきます。田口哲さんは音リズムとテンポを地味に制御しながら空気の流れ(振動)にちょいちょいと変化をつけていきます。音楽のことは全然わからないのにふと頭に浮かぶのは、小さなステージの上でのフルートとベースの協演・・・。
そして主旋律を奏でていたのは実は・・・・。


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12月02日(金)
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