ID:94793
窓のそと(Diary by 久野那美)
by 久野那美
[40952hit]

■「演劇は戦争に反対します」
私は、自分が作品を見て感じるべきことを社会や作り手に決められるのは嫌だ。そういうことのために演劇を見に行くのは嫌だ。

 
               *

作品はひとを動かすことがある、と思っている。
だから、表現者はあきらめず、無力感を感じず、信念を持って作品を作り続けなくてはならない、という考え方にはおおいに共感する。

ひとつの表現が戦争を止めることはあり得ると思う。

悲しいことなのかすばらしいことなのかわからないけど、ひとつの作品が止めることができるのは、未来の戦争ではないかと思っている。極論すれば、すべての芸術家が「目の前の」できごとに対してのみ動くのであれば、その最も期待されるべき効用から遠ざかっていってしまうのではないかと・・・。

ひとつの作品は「期せずして」遠くの大きなものに働きかけることができる。目的を持ったものは、その目的に対しては有効だけれど、つまり即戦力があるけれど、芸術に期待されるものって即戦力だろうか?
目的を持たずに生まれてきたものだけが働きかけることのできるものがあるような気がしている。
 

世の中をふたつの価値観にわけて、「どっちが正しい?」という考え方が好きじゃないので、私が選べない方法を選択し、活動している人を批判する気持は全くないし、実際、その選択をしたひとの中には私が心から尊敬しているひともいれば、素晴らしいと思える作品を作っているひとが大勢いる。
できることならばそういうひとと同じところに立ちたいと思う。
だけど、自分自身の感情と責任感と意識に出来る限り正確に目を凝らしてみて、でてくる答は「反戦のために今すぐ立ち上がり、同じ表現手段を持つ仲間と連体し、なにかを表現することでそれをくいとめなくては」ということのど真ん中にはないような気がする。

いろんなことを考える。
世界中でデモ活動を行っているあんなにたくさんのひとたちの活動が何にも影響を与えないことなんてあり得るだろうか?あれはものすごいことなんじゃなかろうか?
人間は、まだまだ生き物として正しいし、
やるときはちゃんとやるんだ、すてたもんじゃないんだ。


しばらく、いろんなことを考えていようと思う。
うこれは非難されるべき態度かもしれない。ならば非難されようと思う。

非生産的な態度はたくさんのものを損なうだろう。
自分の存在の意味がわからなくなるだろう。

だけど、ものをつくるということは、目の前にあるものの向こうに何があるのか、ひとつでもたくさんたくさん見つけだして考えて、考えて、考えて・・・っすることだったんじゃないだろうかとも思うので。

12月04日(金)
[1]過去を読む
[2]未来を読む
[3]目次へ

[4]エンピツに戻る