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窓のそと(Diary by 久野那美)
by 久野那美
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■シャイニング
キングの方はジーパンを着てポニーテールにしていて、夫と二人の夜だけちょっと色っぽい恰好をしたりする。
7歳の子供を育ててるアメリカのお母さんなんだから。
キングバージョンを見てはじめてキューブリックバージョンの不自然さに気がついた。
「ホラー映画っぽく見える」ためにあんな不合理な服を選ぶわけないでしょうーが。
だいたい、どこで売ってるねん!?
キューブリックのにはないけどキングのバージョンに出てくる2倍の大きさのクリケットの道具がすごい。日常的なシーンではユーモラスな雰囲気すら醸し出す、その不自然な大きさの道具が、日常を裏返したシーンではいっきに違和感と恐怖感を作り出す。道具は何も語らないのに。
そういう恐怖が随所にちりばめられている
キューブリックの映画では「記号」でしかなかったあらゆるものがキングの映画では物語と現実の両方を担って存在している。「現実」が日常的に持っている物語が裏側に持つ恐怖がある。ひとつのものがいつもふたつの意味を担って存在している。その不安と恐怖。そして優しさ。
こういうことをしたかったのね。キングさん。
と、私は勝手に頷いていた。
もちろん。キューブリックの映画がおもしろかった、というひともいるだろう。
実際、キューブリックの方が完成度は高い、という意見も見た。
いろんな考え方があっていい、という意見も分かる。
キングの映画や原作はいまいちだけど、キューブリックの映画はおもしろかった、というひともいるかもしれない。
しかし。この場合、それはどういうことなのか?
それは、「おもしろさや感じ方はひとそれぞれ」という問題なのだろうか?
この場合、キューブリックさんは何を原作にしたのだろう?
たいへん、考えさせられる出来事だった。
何を考えているのか。まだ自分でもよくわからない。
でも、なんだかとても重要なことのような気がする。
それは、たとえば20年経ってもわたしはこのことについて考えているかもしれない、
というような・・・。
*→「シャイニング」についての情報はこちら
05月06日(月)
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