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脚本家・今井雅子の日記
by いまいまさこ
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■ 堺市立新浅香山小学校で「堺ゆめ授業 ようこそ堺の先輩」
高校の数学教師の父と小学校の音楽教師の母を見て育ち、幼い頃から「学校の先生」は夢のひとつだった。「夢のひとつ」というのは、何にでも首を突っ込みたがる性格ゆえ、器械体操を習えば「体操選手になりたい」、アメリカ留学で絵を褒められれば「絵描きになりたい」と夢がふえていったから。
それでも教育への関心は持ち続け、大学は教育学部に進み、4年のときには母校の大阪府立三国丘高校で英語の教育実習を行った。奇しくも受け持ったクラスが文化祭で「オズの魔法使い」の劇をやることになっていたのだけれど、ほとんど手つかずな状態だった。高校時代にオズの脚本と演出をやったわたしは振り付けと演出を買って出て、朝昼放課後に加えて土日も練習に燃えた。
当然授業の準備は後回し。文化祭ではビデオを撮りながら生徒以上に感動して腰が抜けるほど号泣。わたしのために花束を用意してくれていた生徒のほうがよっぽど大人で、実習担当の先生からは「あなたは教師にならないほうがいい。あなたは生徒より楽しんでしまうから」とやんわり諭された。
広告代理店のコピーライターになったわたしは、その後脚本家になり、その経験から学んだことを学校で話すようになった。母校の堺市立三原台中学校で「中学生のドラマ脚本会議」と題した授業をやったのが2012年冬。三国丘高校や金蘭千里高校でも講演し、昨日は舞鶴の日星高校で講演とワークショップ。そして、今日は堺市立新浅香山小学校で一日先生を務めさせてもらった。
朝9時に学校に到着。今回呼んでくださった徳永加代校長先生にご挨拶。お会いするのは、これまた徳永先生に呼んでいただいた8月19日の堺市中教研国語部会ぶり。徳永先生は去年の中教研の全体会でわたしの講演を聴いて、「ぜひ、うちの小学校で」と思ってくださったそう。
今回やるのは「鳥獣戯画からドラマを作ろう」というワークショップ。鳥獣戯画を提案されたのは徳永先生。6年生の国語の教科書に載っているとのこと。お題をいただいて以来、「鳥獣戯画を使ってどんな風に授業を展開しようか」とこの数か月考え続けていた。
心がけたのは、「想像力を働かせる『?』を投げること」「なんで?そんで?で脚本が作れる手応えを味わってもらうこと」。
「グループワーク1 なんで?」で「(寝転がっているかえるは)なんで寝てる?」「(走っているさるは)なんで走ってる?」を話し合い、発表。「グループワーク2 そんで?」で「そんで、これはどこ」「そんで、これはいつ?」「そんで、かえるやうさぎやさるは、なんて言ってる?」を話し合い、発表。最後にわたしが考えた「なんで?」と「そんで?」を発表し、そのセリフを並べてト書きをつけたらハイ脚本のできあがり、を実演で見せる。
ここまでを45分でできるかどうか。ぶっつけ本番。まずはわたしが楽しむこと。
2時間目に3年1組、3時間目に3年2組で授業。「みんなよりひとつ下、2年生の娘がいます」と自己紹介すると、親近感を持ってもらえた様子。大阪の子だからなのか、この小学校がとくに活気があるのか、グループワークの意見交換も発表も元気いっぱい。先に授業をした1組では、「かえるは、なんで寝てる?」「さるは、なんで走ってる?」と聞くと、「さるがかえるをいじめて倒して逃げてる」と答えるグループが多かったので、次の2組からは、たまが考えた例を先に話すことに。たまは「ラジオ体操がはじまる前」で、「かえるはまだ寝ていて、さるはラジオ体操に向かっている」と読み解いていた。
「遠足で、かえるはもう歩けないとだだをこねていて、さるは先生で、早くしないと日が暮れるぞと言っている」と、かえるとさるのキャラクターを膨らませたグループ、「マラソン大会で、さるはかえるにこかされたけれど、後で起き上がって、さるを抜かす」と絵の続きを考えたグループ、短い時間の中で集中力を発揮して、個性的なドラマが生まれた。
3年1組の授業には光eoテレビの取材が入り、授業の後、子どもたちにもインタビューのマイクが。「脚本を書くのはかんたんやってわかりました」と得意げに答えてくれたのがうれしかった。
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09月24日(水)
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