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脚本家・今井雅子の日記
by いまいまさこ
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■ 復興釜石まるごと味覚フェスティバル
花巻に泊まって、明日どこ行こうかと検索してたら偶然見つけた釜石の復興まつり。

海のすぐそばの魚市場に海の幸山の幸が集まり、ふるまいの秋刀魚や牛カルビのほか、釜石ラーメン、骨つき肉、海の幸山の幸を焼いたり加工したり、試食もたくさん。

食べた、食べた、食べた。

潮風に吹かれて食べた生ほたて150円。焼ほたて250円。
ほたても漁協青年部のお兄さんたちも活きが良かった。

ほたてラスクなど珍しいおみやげも買えた。
わたしがときどき買う「東京ラスク」の工場が釜石にあるのだという。
そのことを教えてくれたのは、秋刀魚の列で後ろに並んでいた女の人で、うちと同じ一年生の女の子がいた。
「一人一匹もいただくのは申し訳ない」と一家3人で一匹の秋刀魚を分けようとしてるわたしたちに、「せっかく来たんだから、おいしいの食べて行ってよ」ともう一匹頼ませた。
3人で2匹の秋刀魚を分けていたら、「もう一匹食べて」とわざわざ届けてくれた。
「私は、いつも食べてるからさ」と。
どうやらご自分のを回してくれたらしい。
結局一人一匹。すみずみまでおいしくいただいた。

食べもののために並ぶことも、仮設トイレも、釜石の人たちは、震災の後、何度も、長い間、体験されたのかもしれない。
お祭りのさなかに、その頃のことが、ふっと蘇ったりするだろうかと思ったりもした。

震災のことは聞かなかったし、地元の人たちも話題にしなかった。
好きな物を食べられる今を楽しんでいる人たちがこんなにいる、ということを実感として持ち帰った。

残念だったのは、告知不足。
釜石の駅に着いて駅員さんに聞いても、知らなかったし、駅前にもポスターも看板もない。
駅まで帰るタクシーの運転手さんもそのことを嘆いていた。

運転手さんによると、新日鉄の工場が動いていた頃、釜石は、今よりずっと活気があったという。
「今は、通り過ぎられる町になっちゃったんだよね」と、ぽつり。
震災後も、釜石を視察しても宿泊は別な町、ということが多かったそう。

偶然見つけてお祭りが、釜石へ足へ運ぶ理由を作ってくれた。
一度訪ねた町には情が湧く。
これからは「釜石」という地名を見聞きすると、今日の情景が思い浮かぶ。
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09月22日(日)
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