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脚本家・今井雅子の日記
by いまいまさこ
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■ 沈黙のち行列(実践女子大学講演・後編)

円(縁)を太らせたベーグルで腹ごしらえをして、実践女子大へ。
講演という石ころは、聴いてくれる人たちが磨いて、光らせてくれる。
だから、質疑応答の時間が何よりの楽しみ。
わたしの石ころに感想や質問の石ころがぶつかって、わたしの頭の奥のほうや記憶の深いところを引っ掻いてくれる。
が、今日は質問が出ない。
これまでの講演では、出足が鈍くても、促すと、誰かが手を挙げた。
しかし、今日は出ない。
「なんで?」と「そんで?」の連想ゲームで石ころ(ネタ)に磨きをかけて光らせる脚本作りの過程で「伝力=伝える力」も鍛えられる。どうやったらもっと面白くなるか、もっと楽しんでもらえるかと想像力を働かせることは、同時に、受け手の気持ちに想いを馳せることでもあるから……。
そんな話をあちこちの講演でしているのだけど、そう言う今井雅子本人の発伝量が足りなかったか。

最後に行った講演、4月の故郷・大阪堺市の図書館では、質問が引きも切らなかった。大阪と東京、怖いもの知らずの世代とまわりの目が気になる世代の違いはあるかもしれないけれど……。
4月の図書館講演と今回の大学講演の決定的な違いは、「自分から進んで聴きに来ているかどうか」。
貴重な休日の午後、わざわざ家から出かけて、人によっては電車を乗り継いで人の話を聴きに行こうというのは、よっぽどのこと。移動に時間とお金をかけた分だけ、しっかり元取って聴いてやろうという気持ちもわく。
だから、姿勢は自然と前のめりになり、よくうなずき、よく笑い、よく質問する。
一方、授業や講義の一環としての講演は、単位になるから聴いておくというのが第一の動機で、誰がどんな講演をするのかへの関心はさほど高くない。
そういう相手に話をするときこそ、「伝力」が試される機会。
だから、
座席の背たれにつけた背が浮いて、前のめりになるように。
どこか遠くを見て、別なことを考えてた目が、こちらを向いてくれるように。
閉じていた心の傘が開いてくれるように。
……という気持ちで話した、のだけれど。
壇上で待つ、ほんの数分は、その何倍もの長さに感じられた。
すると一般聴講の男性の手が挙がった。共同脚本について立て続けに突っ込んだ質問をされた。同業者なのか、業界通なのか、とにかく質問が出るのはありがたい。後が続きやすくなる。
続いて先生から「これから将来を決める学生たちに一言」。そして、満を持して学生から手が挙がり、「脚本だと色んな人に口出しされて好きなものが書けなくて大変では?」と質問があった。
この学生さんに、ボーナス得点を!
学生の頃のわたしには、人前で手を挙げて発言するなどという勇気はなかったから、こういう場で質問できる人に敬意を表してしまう。
一人では思いつかないことをチームで思いつける、一人だと石ころのままのネタをみんなのアイデアを持ち寄って光らせることができるから脚本作りは楽しい。連想ゲームには人のアイデアを取り入れる柔軟さと、自分のやりたいことを貫く頑固さの両方がと最後の質問に答えて、ちょうど終業の時間となった。
大半の学生さんが次の講義へ移動してしまった後、何か一言伝えよう、と残った学生さんが列を作ってくれた。
一対一で話してみると「面白かったです!」と瞳が輝いた。
もともと書くことが好きで、標語や小説を書いていたこともあるけど今は遠ざかっていて、でも今日の講演を聴いて、また書いてみたくなりました。そんなことを言ってくれた学生さんたちは、いいこと見つけた!というような明るい顔をしていた。
長い沈黙の後の長い列は、「十人いれば十通り、百人いれば百通りの感想の伝え方」があることを教えてくれた。
大阪に比べると、うなずきも笑い声も控えめで、壇上からは「節伝モード」に見えたのだけど、一人一人の胸の内では、それぞれの形で伝力が蓄伝されていたらしい。
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06月26日(水)
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