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脚本家・今井雅子の日記
by いまいまさこ
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■ 大家のミチコさんと暮らした一年間
大学一年のとき、一年間下宿した大家のミチコさんから「てっぱん見てますよ」と葉書が届く。合格発表を受けてからのんびりしているうちに下宿先の空きがなくなってしまい、不動産屋で紹介されたのは高級ワンルームマンションばかり。その中で、「一軒家、食事つき、大家と二人暮らし」という物件が目に留まった。

食卓を囲む家族全員が同時にしゃべるようなにぎやかな家で育ったせいで、独り暮らしは淋しそうだと思った。また、高校時代の留学先でホームステイを経験していたので、誰かと暮らすことに抵抗はなく、むしろ面白そうという期待があった。

そんなわけで、ほぼ心を決めて、ミチコさんが住む一軒家を訪ね、会って話をしてみて、お願いしますとなった。旦那さんは単身赴任、二人の息子さんは寄宿舎のある学校に入っていて、ミチコさんが一人で留守を守る家の二階の一室を間借りさせてもらい、食堂と和室とお風呂とトイレと洗面所がある一階は二人で使う。

朝と夜はミチコさんが食事を出してくれるのだけど、これがとてもおいしかった。毎朝レタスとワカメと豆腐とトマトのボリュームたっぷりサラダが出て来て、しょうゆとお酢と胡麻油のドレッシングで食べる。煮物やしょうが焼きのような和風の家庭料理が中心。どういうきっかけだったか、一度ドーナツを揚げてくれたことがあった。茶色い紙袋でシナモンとグラニュー糖を混ぜ、ドーナツを入れてシャカシャカ振って食べた。それが、いちばん印象に残る食べ物になっている。

食べながら、いろんなことを話した。ミチコさんは恋バナを聞くのが好きで、初めて挨拶に行った日、いきなりうちの母に「雅子ちゃんはヴァージンですか」と聞いてきた。そういうことを口にしそうにない上品な奥様なので、ギャップにびっくりした。

「台所は海の入口だからできるだけ洗剤は使わない」といったことも、さりげなく教えてくれる人だった。ときどき単身赴任先から帰ってくる旦那さんもミチコさんの料理に惚れ込んでいて「雅子ちゃん、一日三食として、一年たった千食、十年で一万食や。一食一食なにを食べるかが大事やで」と味のあることを言われたのを覚えている。

カウンター式のダイニングテーブルの端っこに置かれた大学ノートがミチコさんとの連絡帳だった。帰りが何時になる、何が足りないといった報告よりも、面と向かっては言えないことを伝え合う交換日記のような役割を果たしていた。

わたしがひどい風邪を引き、ミチコさんが親身になって心配してくれたのに、「大丈夫だぴょーん」のような全快書き込みをしたことが、ミチコさんを傷つけてしまう出来事があった。預かりもののお嬢さんにもしものことがあったらという大家さんの緊張感を思いやれなかったのは、それだけわたしが心を許してしまった現れでもあったけれど、その頃から少しずつ、二人でいることが窮屈になって来た。

わたしは新しい友達、新しい世界に魅せられて、もっと夜遊びもしたい年頃だった。帰りがどんどん遅くなり、夕飯を共にしないことがふえた。約束している時間に帰らなかったこともあった。食事代込みの下宿代がもったいないとも思うようになった。

「潮時かな」ぽつりとミチコさんが言い、わたしはミチコさんのところから飛び出す決意をした。大阪の家族の元を離れるときよりも、ミチコさんの家を出るときのほうが、「巣立ち」という感じがした。

ちょっぴり苦い別れではあったけれど、ミチコさんとの交流は続き、わたしの作品が世に出るたびに、誰よりも喜んでくれる一人になっている。今関わっている朝ドラ「てっぱん」のヒロインが奇しくも祖母のやっている下宿屋に転がり込むという設定で、おまけに大家である祖母の出す食事がすこぶるおいしいと来てるので、ミチコさんのことをこれまでになく思い出す。ひとつ屋根の下で人と人が距離感をはかりあうあのドキドキ感。わたしがミチコさんと暮らしたのも高校を出てすぐのことだったし、あの頃の気持ちがふわっと蘇ってきたりする。

「書きたいことがたくさんありすぎて」というミチコさんにも、あの一年間が記憶の海の底から浮かび上がっているのかなと想像する。
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10月19日(火)
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