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脚本家・今井雅子の日記
by いまいまさこ
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■ 『昭和八十年のラヂオ少年』を祝う会
「『昭和八十年のラヂオ少年』完成のお祝いをしましょう」と昭和三年生まれのお医者様、余語先生が会を設けてくださる。先生には時代考証からフーちゃんの病気のことからずいぶん相談に乗ってもらったので、こちらがお礼すべき立場なのだが、いつものように甘えてしまった。

先生の同級生のT氏、K氏とともに銀座ハゲ天本店へ。ハゲ天は余語先生と同じ昭和三生まれの創業七十五年。当初は『たから』の屋号だったが、初代がハゲ頭だったことから、いつとはなしに『ハゲ天』の名が定着したとか。「ハゲの天ぷら屋」と親しまれるうちに縮まったのだろうか。

T氏の奥様が留守のときにT邸で集まる「洗濯の会」(「鬼の居ぬ間に洗濯」にちなみ今夜命名)で何度かご一緒しているK氏は、元NHK記者。音だけの取材時代、自分で8ミリを回して編集した時代など、この方の経験自体が生きる放送史だったりする。ちなみにラヂオ少年の感想は「前半があわただしくて入り込むまでが大変でした」とのことだが、後半はお楽しみいただけた様子。

知的好奇心旺盛、それでいて三者三様の視点を持った三人と話していると、わたしの知らない引き出しが次々と開き、次は何が飛び出すのかと楽しくてしょうがない。わたし自身の備忘録も兼ねて、今宵の話題を書き記しておこう。
【女流画家・三岸節子の生きる力】
19才で画家の三岸好太郎と結婚。彼も才能に溢れていたが31才で病死。夫の女性関係に悩んでいた節子は「これで生きていかれる」と言った。今よりも女流画家にとって逆風の時代に絵で身を立て、60代後半で渡仏、20年のパリ暮らしを経て帰国。93才で亡くなるまで絵筆を握る。絶筆となった『さいた さいた さくらが さいた』にも生命力がみなぎっている。先日の展覧会を見たT氏は「さくらさくらの絵を見る人々を見ていたんですよ。そしたら、皆さん、ふっと微笑まれるんですね。よく最後まで描ききった、生ききったなって顔で絵を見るんです」。

【植草一秀元教授の手鏡覗き事件は冤罪か否か】
手鏡で女子高生のスカートの中を覗いたとして逮捕され、早大大学院の教授の職を失った植草一秀氏の経済講演会に出席したT氏の目的は、「彼が本当にあんなことをしたのか見極めるために、彼の話を聞きたかった」。逮捕激は、植草氏の反対派が彼を貶めるために仕組んだものとする主張について、T氏が持ち帰った講演会の資料をもとに「植草氏の唱える経済論がそれほど危険なものかどうか」を議論するが、資料の内容は別段過激とは思えない。冤罪であれば怖いが、真実は本人にしかわからない。

【信濃デッサン館と無言館】
余語先生と出会った直後に館長である窪島誠一郎氏の本を借り、深い感銘を受けた『信濃デッサン館』が資金難のため閉鎖されるというニュースを聞いたのですが……とわたしが振ると、「まだご覧になっていないですか。日帰りでもすぐ行けますよ」と余語先生。先生に言われて行ったというT氏は、デッサン館はもちろんのこと、無言館の作品の力に圧倒されたとか。「これから出征する者が生きた証を残そうとする気迫がこもっていて、あれを見た後に銀座の画廊に行っても何も感じませんでした」。

【陪審員と裁判員と調停員】
翻訳劇を観に行って途中で出てきた余語先生とT氏が「アメリカの村々をめぐる話をそのまま訳したって、日本人にはどこがどこだかさっぱりわからない」。「翻訳したものを日本を舞台にした形に脚色すれば面白かったかもしれません。でも、『十二人の怒れる男』は半世紀も昔のアメリカが舞台なのに、陪審員たちの心理劇の面白さで楽しめましたね」とわたし。そこから裁判員の話になり、自分に回ったらどうしようと議論。そういや家庭裁判所などでは裁判官とペアになって示談交渉などを進める調停員という職業があって、元同僚がやっていますよとK氏。もしかしたらネタになる話が聞けるかもしれませんよということで、ネタになるかどうかはともかく、今度皆でその調停員氏を囲みましょうと話す。

【ハンセン氏病の誤解】

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05月29日(日)
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