ID:93827
脚本家・今井雅子の日記
by いまいまさこ
[786588hit]
■ 花巻く宮澤賢治の故郷 その3
大沢温泉自炊部の食堂『やはぎ』で朝食。横のテーブルでは、声のよく通るお坊さんが「結婚は人生最大の修行」と力説。その理由は「結婚すると飛べないから」。結婚して悟った真実なのか、結婚しない口実なのか。朝定食は山の幸と海の幸の体にやさしい献立で650円。
食堂も安いが宿は破格に安い。「1 万1 千円です」と言われて「ひとり分ですか?」と聞き返してしまったが、ふたり分2泊のお値段。素泊まり料に各種貸し出し料が加算される仕組みで、まくらは1泊10円、浴衣は50円也。
送迎バスで大沢温泉を後にする。客が乗り込みはじめ、バスが出発するまで旅館の方が4人、見送りに出られ、最後まで手を振ってくれた。その中に、義父が「立派な人だよ」と激賞している女将さんの姿も。恵子とわたしが泊まっていると聞き、何度も自炊部まで足を運んでくださり、やっと今朝、お会いすることができた。バスは山水閣前発だったが、自炊部から山水閣へ向かうときは、自炊部の方が外まで出て見送ってくれた。礼を尽くす宿である。
花巻駅までの道中は昨日義父に紹介された女性と隣席になった。賢治さんに影響を受けた詩人の一人、草野心平さんの司書をされていた方で、思い出話などをしてくださる。
林風舎でカプチーノを飲んでいるところにIさんが来て、「賢治学会の頭だけ顔出してきた。後はあんたらを案内してやるさ」。二日続けて申し訳ないですと遠慮するが、「あんたらだけじゃ何見ていいかわからんだろ」と言われると、その通り。お言葉に甘えさせていただくことに。
まずは「賢治さんの産湯に使われた井戸」。ここは和樹さんの叔父さん宅の一角にある。家系図の看板を見て知ったのだが、賢治さんの父方も母方も名字は「宮澤」。井戸は母方の宮澤家にあったものだ。続いて高村光太郎が眠る浄土宗松庵寺へ。「この人と賢治さん、宮澤家はつながりが深いからね、何かと絡んでくるのさ」とIさん。
昨夜の賢治祭の会場、銀ドロ公園には誰もいなかった。きれいに片付けられ、ゴミひとつ落ちていない。祭り自体が幻だったような気さえする。「雨ニモ負ケズ」の碑を昼の光で見る。昭和11年建立、文字は高村光太郎の筆によるもの。この公園にあった「賢治の家」は花巻農業高校に移築されているが、「下ノ畑ニオリマス」の書き置きにある畑は今も公園から見渡せ、この辺りですよと示す目印が立っている。
公園の手前にある同心屋敷は賢治さんとは関係がないが、3百年以上前に建てられた興味深い建物。賢治さんが使った倉庫兼トイレを再現した小屋にも立ち寄る。倉庫を開けると、「賢治先生が使った道具」と書かれた札があったが、「3本460円」と書かれた包みなど、最近のものと思しきものが……。現代の物置になっている様子。
賢治さんが「イギリス海岸」と名づけた北上川の河原は花が咲き乱れていた。水かさが少ないときは川底の泥岩層が露になり、ドーバー海峡の白亜紀層の岩壁を想起させるのだとか。賢治さんはイギリスには行っていないが、地質学に明るく、学術的な観点からこの名をつけたそう。『イギリス海岸の歌』では「なみはあをざめ 支流はそそぎ たしかにここは 修羅のなぎさ」と詠んでいる。
昔は橋の上を郵便鉄道が走り、賢治さんは天の川と地上の北上川と遠くの郵便鉄道を見て、『銀河鉄道の夜』の物語をふくらませたのだとか。犬を連れたかわいらしいおばあちゃんと言葉を交わす。「さようなら。元気でね。また会いましょう」。この人も美しい日本語。
車は坂を登り、高村光太郎山荘へ。高村光太郎は賢治さんと交流があり、東京が空襲に遭うと、花巻に疎開した。花巻も空襲を受け、この山荘へと逃れてきたという。粗末なあばら家と聞いていたわりに大きいと思ったら、もとの山荘に「套屋」つまり外套の家をかぶせているのだった。光太郎さんを慕う地元の人々が木材を持ち寄り、山小屋をすっぽり包む家を建てた。さらにそれを保存するためにもう一層の套屋が建てられ、三層魔法ビンのような構造になっている。
[5]続きを読む
09月22日(月)
[1]過去を読む
[2]未来を読む
[3]目次へ
[4]エンピツに戻る