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脚本家・今井雅子の日記
by いまいまさこ
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■ SLに乗ったり地震に遭ったり
西若松駅で地元の役場勤務という方が合流。きのこ採りで遭難者が出て、「今頃○○辺り走ってるなあ」などと思いながら捜索に出ていたそうだが、無事見つかり、終着駅直前で追いついた。「西若松駅が鶴ヶ城前駅に名称変更されるかも」などと話すうちに会津若松に到着。あっという間の88.4km、193分。お酒とおしゃべりに酔い、車掌さんの美声と冴え渡る名調子にも酔いしれた。会津坂下の駅を離れたときの「万が一に備えてディーゼル車を待機させておりましたが、空振りに終わりました。このまま自力で走らせます」など、ユーモアのある語り口が微笑を誘っていた。「会津若松で一番いい声の車掌さん」という噂。「佐藤」と名乗られた気がしたが、いつかナレーションをお願いしたいくらい。

会津若松駅での待ち時間に、裏手にある機関区を見学。列車たちが体を休める車庫のことで、正式名称は会津若松運輸区だけど、「クラ(庫)」とも呼ばれるそう。ターンテーブルで回る機関車をはじめて見る。「去年乗ったSLばんえつ物語クリスマス号を牽引していた機関車ですよ」とT氏に教えられ、「こんなところで再会しましたね」とわたしもすっかり鉄モード。

会津若松で飲んでいくというT氏と鉄道仲間よりひと足早く17:31発のJR磐越西線の快速郡山行きに乗る。早起きしたので熟睡。ふと目が覚めると猪苗代駅、時刻は18:00。「17:56頃震度5の地震があり、運転を見合わせます」と車内放送がある。1時間経っても余震は続き、かなりグラグラ揺れる。外に出るよりは車内にいたほうが安全。

災難に遭ったからにはネタ銀行に預けるべし、と車内の様子を書きつける。後ろのボックスのおばさまたちは「カメラつき携帯電話の画素数」について熱心に話していた。携帯には暇つぶし機能と安心機能もあることを知る。誰かとつながっている感覚が心を落ち着かせる。予定時刻より3時間遅れて郡山駅に到着。64.6kmに230分、時速16.6km。森と水とロマンの鉄道、JR磐越西線を堪能(?)。その間に会津若松で飲んでいたT氏たちはバスで郡山へ向かい、わたしを追い越してしまった(急がば回れ!)が、約1時間待って郡山駅のホームで出迎えてくれたことに感激する。
17:31 会津若松駅を出発。
18:00 猪苗代駅で運転停止。「17:56に地震発生」のアナウンス。アナウンスの途中にも揺れ、「ただいまのが地震でございます」。
19:10 「線路点検にかかります」のアナウンス。徒歩のため時間がかかる。振替え輸送のバスも要請しているという。
19:48 再び大きな余震
19:50 「線路点検は中山宿と沼上信号所間の一区間を残すのみ」のアナウンス。 
19:55 T氏と鉄道仲間を乗せた会津若松発の民間バスが猪苗代を通過
20:08 「異常なし確認。間もなく出発」のアナウンス。
20:30 2時間半ぶりに運転再開。「各停、磐梯熱海までは35kmの徐行運転」。
20:55 しばらく停車。「磐梯熱海まで徐行運転の予定でしたが安全が確認できたので通常の速度に切り替え」。
21:20 郡山駅到着。

不思議だったのは、足止めを食らった車内で誰も文句を言っていなかったこと。東京の地下鉄が30分止まっただけで乗客が駅員につかみかかる光景を見ているので、この差はなんなんだろうと思っていた。「分厚い時刻表を持っている乗客が目についたので、その人たちは只見号帰りだと思うんですよ。でも、他のお客さんたちもどら焼きを分け合ったりして和やかでした」と快適な新幹線やまびこの中で話すと、「それはこのどら焼きですか」と真岡鉄道を応援しているM氏が大判のどら焼きを取り出した。朝の只見号で配られたものらしい。足止め号の乗客の大半は只見号帰りだったよう。移動「手段」ではなく、鉄道に乗っている「過程」を楽しむ人たちゆえ、トラブルを柔軟に受け止める余裕があったのかもしれない。閉じ込められていた150分も含めて、一日で690分も電車に乗っていたのは新記録。いろんな意味で忘れられない鉄道旅となった。


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10月23日(土)
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