ID:87518
与太郎文庫
by 与太郎
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■ 真実の瞬間 〜 すれちがった人々 〜
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20070810
誰々と「すれちがった」といえば、会って通りすぎたのか、あるいは
会わずに行きちがったのでしょうか?
それとも、街で見かけただけの場合など、いろいろなのでしょうか。
http://oshiete1.goo.ne.jp/qa3110420.html
QNo.3110420 質問者:bilda
(困り度:暇なときにでも/質問投稿日時:20070624 01:08)
◇
田村くんのマンスリー・エッセイ《A Moment Of Truth》が届く。
以前、どうしてブログで公開しないのか、と聞いたところ「スタンス
が違いますから」と答えた。これはこれなりに当意即妙である。
与太郎のスタンスは、中学以来の構想によるものである。
おおげさに云えば、ルソー《告白》がめざしたような内心の吐露を、
バルザック《人間喜劇》のような形式で公表することである。
前者は、ほとんど友人知人がリタイヤした後の、回想録なら許される
だろうと考えている。もちろん、書かれる側にすれば不愉快なケースも
あるはずだが、よほどのことでなければ、禁じることはできない。
これまでのところ「自分のことが書かれていた」というメールが数通
あっただけで、特定の記述を訂正・削除せよという要求はなかった。
(事故・犯罪の関係者からの申出については、二三応諾している)
逆に他のサイトで(与太郎に関する)誤った記述や、不可解な削除の
例もあるが、その前後から判断すれば矛盾するので、あえて問わない。
わざわざ訂正を要求しなくても、自サイトで説明すればすむからだ。
後者は、過去のメモや日記、はがきや書簡、近年のメールに至るまで、
公刊されたエッセイや雑稿とあわせて、すべて文学的素材とみなす。
(バルザックは89の長短篇小説、与太郎は5年間に1000篇以上)
こんなことが(誰にも)可能になったのは、わずか数年前からである。
いまやブログを書く人口は、読む人々よりも多い、と云われている。
ヒマを持てあます現代人が、タダで書く作家になりはじめたのだ。
◇
以前、彼のエッセイを公開しないで、与太郎の返信だけ公表すること
を試みた。なかなか捨てがたい着想だったが、いかにも隔靴掻痒である。
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20060318
釘か杭か 〜 自動翻訳ソフト 〜
そこで今回は、彼の提示したタイトルをもじって、思いついたこと、
思いだしたこと、いま考えていること(*)、などを羅列してみた。
以下(原題 → パロディ)。
a moment of truth → movement of truth
WIN/WIN situation → Dutch count situation
prisoner of war(POW)→ prisoner of gods
face the music → face the magic
Mail'20070809 10:15 from Mr. Tamura, Tadahiko
Mail'20070809 19:10 for Mr. Tamura, Tadahiko
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すれちがった人々
生涯に出会った人々、出会いたくなかった人や、会うべくして会えず、
めぐり会えなかった人々を総称する。
(今月のエッセイは、人生における臨場感が伝わってくる)
互いを通らせる人:Person who passes each other(exite↓Yahoo)
今擦れ違った人知っているかい:Do you know the man who just went by?
彼と私は擦れ違ってばかりいる:He and I keep missing each other.
0.Who’s who 〜 君の名は? 〜
ジョージ・ルイスとジャフェ父子?
わが“世界最大のジャズ紳士録”にも、ジャフェの名は見当らない。
ディキシーランド・ジャズは本来アマチュア文化だからか。
Lewis, George Francis Zeno 19000713 America 19681231 68 /“Louis”
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19680706
── Awa Library《Jazz Diary 1001〜1231 Death Days》
アラン・ジャフェ(Jafe, Alan )のサイン?
http://www.jazztokyo.com/gallery/gallery001b.html
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08月10日(金)
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