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与太郎文庫
by 与太郎
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■ 花と嵐 〜 まさかの与太郎伝 〜
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20060810
指揮者のパフォーマンスとして、演技的に大声を出すことはあったが、
口を荒げて怒鳴ったり、争ったりするとは、誰も予想しないだろう。
しかるに、どういう風の吹きまわしか、こんなこともあったのだ。
◇ 与太郎のタメ口
── 立川談志『談志楽屋噺』に「タメってなぁバクチ用語で、同目の
ことだ」(第二章)とある。この「タメ」が六〇年代に不良少年の中に
入った。不良少年の隠語のほとんどはテキヤやヤクザのそれを借用して
おり、「タメ」も同様。七〇年代もまだ不良の言葉で、『サンデー毎日』
一九七九年六月十日号に「タメ 五分五分」「タメ 同級生」「タメグ
チ 後輩が先輩と対等の口のきき方をする」と不良の言葉に出ている。
同目→五分五分→同じという風に意味が変わり、八〇年代には一般の
若者も使うようになり、今では新聞だねになるまでになった。
(梅花女子大学教授・米川 明彦) ── おしえて308
http://homepage2.nifty.com/osiete/seito308.htm
1963年ころ。宮田くんに連れられて、タバコ店主(T)に紹介された。
このとき与太郎が「はぁ、なるほど、そうですか」と受け答えしたが、
宮田くんには(なぜか)気に入らなかったらしい。
「おまえ、あんな失礼な口の利き方はないぞ」という。
いまもって彼の言い分が理解できない(同じ事を言われた経験もない)。
その後も与太郎は、小売店主として十年以上も、店頭に立ったのだ。
六年後に、天皇の義弟ご夫妻と二時間半も歓談し、失礼はなかった。
その宮田くんは、与太郎の結婚披露宴の打合せに参加した竹内くんに
「あなた」と名指しされたときも(なぜか)腹を立てている。
◇ 与太郎の風体
1964年ころ。竹内くんに連れられて、初めておタカさんと会ったとき、
彼女は鮮やかな緑色の毛糸のワンピースを着ていた。そこで竹内くんが
例によって「羽根をむしられたニワトリみたいだ」と辛辣な批評をした。
よせばよいのに与太郎も「ところどころムシリ残している」と加えた。
わざわざ毛玉を見せたデザインを、二人の青二才にからかわれたので、
おタカさんは、すっかり機嫌が悪くなった。
その日の与太郎の印象を、彼女は「バーテンかと思った」そうだ。
ただし、まがりなりにも小売店主であり、カメラマンでもあったので、
「人は見かけで判断してはいかん、と思うたんよ」と、補足してくれた。
たぶん彼女は、キザで軽薄な、堅気でない男だと感じたのだろう。
しかし、ピカピカの新車に乗っているし、とても顔が広くて、友人も
多いので、それなりに見直してくれたのだそうだ。
それから十数年たって、場末の美人ママに出合ったときも、最初の日
の印象について、彼女は「板前かと思った」そうである。
バーテンと調理師は、いかにも類似の職業である。
ところが、上記の美女たちの印象とは逆に、男どもの第一印象たるや、
公務員、とくに教員のイメージで、もっぱら“センセイ”と呼ばれた。
さる依頼主も、与太郎がデザイナーであることを信じなかったそうだ。
◇ 与太郎の武勇伝
1981年ころ。場末の小さなスナックに、評判の美人ママがいた。
与太郎は、当時いちばん大切な依頼主を、その店に案内した。
自信満々の大作を納めたばかりで、得意絶頂の祝杯気分だった。
見知らぬ客が何気なく「おまえ、何ちゅう名や?」と訪ねてきた。
ムッとして苗字を答えると「嘘つけ!」と云ったからたまらない。
与太郎は、いきなり椅子から立ちあがって怒鳴りつけた。
「なにが嘘か! 嘘でなかったらどうする?」とやりかえした。
一見してヤクザ風の客に、センセイ風の客が噛みついたのである。
さすがのヤクザ風も、すっかり毒気を抜かれてしまった。
モゴモゴ何を云ってるのか分らないので、与太郎がおっかぶせた。
「ようし、ホントだったら三千円払うか?」「うん」「どうだ!」
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08月10日(木)
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