ID:87518
与太郎文庫
by 与太郎
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■ 老いらく考 〜 歌よむ人々 〜
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20060120
── 歌人の川田順氏(68)は京都市左京区北白川の自宅から家出、
真如堂に身を寄せ死を決していたが、養嗣子に発見され自宅に連れ戻さ
れた。死を決めての家出の原因は、三年前から続いた同氏の歌弟子前某
大教授夫人俊子さん(40)との恋愛をつきつめたため。二人の関係は
京都の文人や歌弟子仲間の噂にのぼり、俊子さんは夫と子どもを捨てて
今夏離婚、実家に帰り川田氏との結婚を進めていたが、川田氏は世間的
配慮から消極的で死による清算をはかろうとした。川田氏の歌は
「死なむと念ひ生きむと願ふ苦しみの百日つづきて夏去りにけり」と
ともに「墓場に近き老いらくの恋は怖るる何もなし」があり、「老いら
くの恋」が流行語に。俊子さんの歌は
「はしたなき世の人言をくやしともかなしとも思へしかも悔なき」。
その後、二人は結婚。(19481130)
── 《昭和史全記録 1989‥‥ 毎日新聞社》
http://www015.upp.so-net.ne.jp/gofukakusa/just-kawata-jun-omakedesu.htm
◆
── 【小田原発】小田原市十字二ノ二六〇室田さん方、東大名誉教授
塩谷温博士(七三)と夫人菊乃さん(三七)は数日前同市荒久海岸を散
歩中、菊乃さんが行方不明となり関係者が内々で行方を捜査、小田原市
署でも調べている。……菊乃さんの遺書も発見されたといわれ、自殺し
たのではないかとみられている。(19510720)
【小田原発】……十四日伊東海岸で発見された身元不明の水死者が菊乃
さんであると十九日夕確認された。自殺か、過失死かハッキリしないが、
日ごろ仲むつまじい間柄だっただけに、関係者は過失死と見ている。
自殺と医師語る【伊東発】菊乃夫人の死体を検視した高安医師は次の
ように語った。ポケットに石ころが三つ入っていたところから自殺と思
う。(19510721 夕)
【伊東発】塩谷博士は廿日伊東で夫人菊乃さんの死体を火葬にしたが、
博士は棺の中に前夜手写した心経を納め「君帰れ、海の中には鬼多し、
とくとく来れわが懐に」とその心境をよんでいた。(19510721)
── 《朝日新聞一〇〇年の記事にみる@恋愛と結婚 朝日新聞社》
http://homepage1.nifty.com/B-semi/koiku/siotani.htm
── 正津 勉《恋歌 恋句》
── 松本 清張・監修《明治百年100大事件・上 19680910 三一新書》P
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ふたつの事件は、京大と東大、人妻と元芸妓の対比でも印象的だった。
川田 順 住友銀行総理事 18820115 東京 19660122 84 /19481130失踪事件1214報道1949再婚
♀川田 □□ 順の前妻 19‥‥‥ 東京 1939‥‥ ? /病死
中川 与之助 俊子の前夫 190.‥‥ 東京 19‥‥‥ ? /19480811離婚/京都大学教授
♀中川 俊子 川田 順の後妻 1909‥‥ 東京 20060220 96 /1949再婚(41)与之助の妻/旧姓=鈴鹿
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塩谷 温 中国語/歌人 18780706 東京 19620602 84 /東京大学教授19620603?
♀塩谷 菊乃 温の後妻 1914‥‥ 伊東 19510713 37 /入水0714遺体発見0719確認
あらためて調べてみたところ“老いらく”の流行語は、歌会始の選者
が(満67才のとき)身をもって歌いあげたことにはじまる。
翌1949年の歌会始の選者と、皇太子の作歌指導まで辞している。
なぜか当時の記事では、老人の年令を68歳と“サバ”を読んでいる。
誕生日一月十五日で満66才となるので、数え年でも67才である。
(むかしの庶民は、満年令より2歳多いと思いこんでいたふしもある)
夫人の川田 俊子《いいぎりの花》に明治42年生れの典拠があるので、
11月末以前に誕生日を過ぎていれば満39才、数え年では40才だが、
これも41歳と“サバ”を読まれている。夫人の前夫の消息は未詳。
四年前の不倫だから、現在の満年令なら63歳と36歳だった。
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01月20日(金)
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