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与太郎文庫
by 与太郎
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■ 五十年の過客 〜 畏友への返信 〜
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20051129
Let'20051110-1129 for Mr.Kawahara,Mitsuo
かつて貴君は、同志社中学校地歴部長(翌年は竹内 康 君)として、
《旅のしおり 19540417 同志社中学校修学旅行委員会》で、行く先々の
詩歌をあつめて解説している。
未知の、いわば架空の紀行は、当時はじめての編集プランだった。
ちょうど五十年後に、東北旅行十二日間の紀行文を読むと、あたかも
当時の中学生が、いまなお旅先にあるような感慨にいたる。
こういう地味な紀行文は、いますぐ誰かが興味を抱くというものでは
なく、誰かが他の調べものをして、偶然めぐりあって読みふけるような
傾向のものであろう。
そこで、この手紙もろとも、わがブログ《与太郎文庫》に公開したい。
── 月日は百代の過客にして、行きかふ年もまた旅人なり
── 松尾 芭蕉《奥の細道 1689-1691》
会津の敗将、山本覚馬に砲術を学んだ妹が、籠城に際して髪を切り、
男装して戦ったそうだが、こういうエピソードを教わった記憶がない。
金策に困った新島襄に「ならぬものはなりませぬ」と言ったかな。
きみは、司馬遷ならぬ司馬遼太郎を贔屓にしているようだが、むかし
与太郎も大河ドラマの原作として《国取物語》や《花神》を読んでいる。
ところが、あるとき次の一節に至って、急に興ざめしてしまった。
たぶん《項羽と劉邦》だかで「……と云って、彼はニタリと笑った」
というくだりである。そんな表情を、誰が見たというのか?
このような論理回路に疑問を抱くと、歴史小説は読むに耐えない。
たとえば、ドラクロワの《民衆を率いる自由の女神 1830》も、ごく
最近まで、バスティ−ユ牢獄へ向う図だと思いこんでいた。
ふと、乳房を出しているのはなぜか、と疑問を抱いて虚しくなった。
つまり、寓話や神話は事実に拘束されないが、歴史的事実を寓話的に
語ることはルール違反ではないだろうか。
このような議論は《ロビンソン漂流記》以来のものだそうだ。
ところが、松本清張は具体的な結論をくだしている。将来の文学は、
警察の供述調書のような文体になるだろう、というのだ。
よって“司馬 vs 清張”の対立に、もはや与太郎の軍配はゆるがない。
途上国の自立と援助は、ユニセフが緊急物資を、ユネスコが識字教育
と分担しているらしい。二学年下の森 昌子くんがユネスコに勤務して
いたとかで、妹の森 悠子(ヴァイオリニスト)の項で言及している。
↓ 三題噺 〜 ユネスコ・ユニセフ・エネスコ 〜
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20041216
http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=1831109
彼女を指しているわけではないが、つねづね与太郎が懐疑的なのは、
このような貧しい人々を食い物にする人たちも存在することだ。
彼らは援助したあと、プール付きの自宅に帰って優雅な暮しをする。
大地震に見舞われたパキスタンの貧民が、毎日空を見上げている。
援助物資をつんだ飛行機が、ほかの災害地に向って通過するのを眺め
ているのだ。やってくるのは、手ぶらのテレビ・スタッフばかりだ。
この映像を流したあと、筑紫哲也が「多事争論」だか「他事総論」で
「マスコミが多く報道した地域ほど、資金カンパが多く集まる」と結ぶ。
もっともらしい発言のようだが、バッカじゃないか! (20051110?)
柳田国男のような文体から、与太郎はブルーノ・タウトを思いだした。
同封のコラムは、一年十二ヶ月の連載として書きあげた一篇である。
以下、清水 睦夫先生の論文目録(ネット検索による)。
── 清水 睦夫《スラヴ民族史の研究 1983 山川出版社》
── 《ビザンティオンの光芒 東欧にみるその文化の遺跡 1992 晃洋書房》
── 《The Jewish Nomadic State-- "Khazar Kaganate"》
── 清水 睦夫《北方古代学界の展望(1)スターラヤ・リャザンの文化
19520701 古代学協会》
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11月29日(火)
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