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与太郎文庫
by 与太郎
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■ 早春賦 〜 志ほやの楚蟹 〜
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20040303
20040226 18:30 三越うらの理髪店を出て、三越倉敷店の地下に降りる。
「さすがの瀬戸内海も、冬には旨いものが少ないのです。しかし今年は、
山陰のきわめつけ、楚蟹(ズワイガニ)が手に入りましたので、少し
早めのお祝いです」(五人の恩師にあてた未投函メッセージの草稿)
ひとりぐらしの恩師には、一房の果実がふさわしい。ご夫婦であれば、
二房を仲よく分けあっていただきたい。
それ以上のものを送ると、金谷先生など「きみ、無理したらあかんで、
はがき一本でえぇよ」と、教え子のふところ具合を心配されるのである。
たぶん岡山の桃と葡萄は、人類史上最高の傑作ではないか。
もともと《旧約聖書》に登場した葡萄は、マスカットからピオーネに
進化して、いよいよ今年は新種「桃ぶどう」が出荷されるという。
なんだか幼稚なネーミングだが、テレビ《松本紳助》では「イチゴ・
ぶどう」なるものを試食していた。
芥川龍之介《杜子春》に登場する「桃の花の咲く家」は、このときは
食用にならなかったようだが、江戸時代から進化して、現在では白桃・
黄金桃などが店頭に並ぶ。
(桃の意外史は、新井佐和子さん宛の書簡に祥述)
しかし、岡山名産の「桃と葡萄」は夏から秋だけのもので、その他の
季節には、さすがの瀬戸内にも、めぼしい収穫物が途ぎれるのである。
金谷 昭良 19270830 丸亀 /1948-1950 新洞小学校3・4年ろ組担任
♀芝山 マツ 19271006 京都 /1950-1952 新洞小学校5・6年ろ組担任
本宮 啓 19240320 京都 /1952-1955 同志社中学新聞部/DJS
杉井 六郎 19230613 弘前 /1958-1959 同志社高校3年F組司級
谷本 岩夫 19290114 京都 /1955-1959 同志社高校(化学)
金谷先生と芝山先生は、あいついで“喜寿”を迎えられる。はじめて
与太郎を受持たれたときの年齢は、それぞれ二十歳と二十二歳だった。
八月丗日生れの金谷先生や十月六日の芝山先生は、マスカット全盛期
にあたるが、三月廿日生れの本宮先生や、六月十三日生れの杉井先生、
一月十四日の谷本先生には、うまい贈物が届かない。
本宮先生のお誕生日は、最初のメモでは19250308だったが、のちには
19260320と判明、ところが昨年来のDJSOBのHPによると、ことし
“傘寿”とあるので19240320に再訂正することになった。
杉井先生は昨年“傘寿”だったから、ことしは“半寿”にあたる。
傘の俗字は「从+从」を「八」と略して八十歳、これに横一を加えて
“半寿八十一歳”となる。将棋盤の八十一升から“盤寿”ともいう。
ついでというのは失礼だが、七十五歳の誕生日に(ホームページで)
自ら老人となる決意を表明された谷本先生には、与太郎の造語で“比寿”
を献上しよう。喜寿が「七+七」なら、二画減じて「七+七−十=比」
と見たてたのである。
「もう年齢を数えたり、比べるのは止めよう」という解釈も成り立つ。
長寿の祝いごとは、誕生日がすんでから、という慣例もあるらしいが、
緊張のあまり気分がたかぶり、不慮の事故があってはいけない、という
配慮によるものか。
かつて、このことに関する「クンツ説」の立証を試みた(未完)が、
いまひとつ目ぼしい発見はなかった。
本来は、お誕生日当日のサプライズ・シャワーがいちばんなのだが、
思うようにはいかない。しかし今年は、諸先生の節目の年にあたるので、
なにか一工夫したいものだと(一昨年あたりから)迷っていた。
ふつう、近くの果実店から届けさせると、ふつうの宅急便の運転手が、
「宅急便です」と声をかけて、チャイムを鳴らす。
これを、三越から贈ると、宅急便の配達員はインターフォンに向って、
「三越でございます」というそうだ。
もらいものに慣れた主婦なら、思わず小走りになるところだ。
ところが「志ほやの白桃」は、数日前に予告の電話を入れるという。
「岡山の志ほやでございますが、○○様から季節の品をお預りいたして
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03月03日(水)
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