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与太郎文庫
by 与太郎
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■ ぬばたま
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20021122
■2002/11/23 (土) 千鳥泣く
ビヨビヨからワンワンへ。
ゆうべ観た、近来まれにみる痛快なテレビ・コラムの要約。
「平安時代の犬は、ビヨビヨと鳴いていた。江戸時代から、首輪でつな
がれるようになったので、ワンワンと聞えるようになった」
── 《犬は「びよ」と鳴いていた 20021122 22:45 NHK 視点・論点》
山口 仲美(埼玉大学教授)日本語学・日本古典文学。著書;
《犬は「びよ」と鳴いていた─日本語は擬音語・擬態語が面白い─ 2002 光文社新書》
《ちんちん千鳥のなく声は―日本人が聴いた鳥の声― 198904・・ 大修館書店》
── http://www.toshima.ne.jp/~yosh8091/
なるほど、擬音語・擬態語の研究などというジャンルがあったのか。
さきの「シバ鳴く」について、早稲田出身の国語教師・下村福先生は
「強く、はげしく鳴いた」と解釈された。のち広辞苑をみると、万十七
「かほ鳥のまなく─鳴く春の野に」を「しばしば、しきりに」とある。
国立大学の入試問題は、諸説あるものは採用されないから、どちらが
通釈・正解だったのか。
与太郎は窮して「しばし鳴いた」と回答して、不合格となった。
(与太郎は、この結果に「しばし泣いた」が、ふたたび再挑戦すること
で両親を説得したのである。しかしそれは、ポーズにすぎなかった。)
いまの山口教授なら、もっと斬新な仮説を立てるのではないか。
山口教授の魅力的なキャラクターをひとことで紹介するなら、慶応の
荻野アンナ教授につづく、饒舌で奇想天外のおもろいオバハン、である。
(親戚にひとりは居て、たまに法事で出会ったりすると退屈しない)
元祖・厚化粧がフランソワーズ・モレシャンならば、原産はフランス、
ハーフを経て、国産にいたったものか。
当世・厚化粧三傑、ということならば、右の扇千景と左の土井たか子、
中央には田中真紀子がふさわしい(スッピンでも貫禄十分)。
舞台では演歌の八代亜紀、中国産・鳳蘭、シスターボーイ・美輪明宏。
枠外に、江戸学の杉浦日向子は、このところNHKの常連となって、
フツーのおばさんになりつつある(危うし!ヒナコ)。
顔に絵を描くのだがら、立派な芸術作品である。わざと薄化粧に見せ
るのは邪道だ、という説もある(出典不詳)。
↓《厚化粧十傑 〜 十二人の粧える人々 〜》
2003年11月08日(土) それ行け、マキコ!
http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/day?id=87518&pg=20031108
↓《荻野アンナ掲示板 20021123 & 20031108》投稿
http://www.office-human.co.jp/anna/bbs/index.html
■2002/11/22 (金) 三校併願
かつて与太郎は「東京にある三つの美術学校」を受験して「第三志望」
に合格した、と述べている。 ── 《看板教授 19701220 中日新聞》
一に“ゲーダイ”二が無くて、三に“タマビ”か“ムサビ”であって、
ほとんどの受験生は二校を併願したが、一の落武者が三に下る構図は、
いまも変っていないだろう。
三校を併願した与太郎の、四十四年前の記憶をたどってみよう。
国語の問題用紙が配られ、おとなしげな試験官が言った。
「国立大学としては、もっとも易しい問題ばかりです」
いまでも憶えているのは、
「ぬばたまの/千鳥しば鳴く」の「シバ鳴く」が「どのように鳴いたか」
という設問である。
さいわいなことに与太郎は、この歌をはじめて聞いたわけではない。
母校の同志社高校には“ヌバ”と呼ばれる国語教師がいて、あまたの
黒きものにかかる「枕ことば」の概念と、アダ名の関連を知らずに卒業
する者はいなかった。
与太郎のように授業を受ける機会がなかった者でさえ、入学式当日、
ヒソヒソ話として伝えられたように、この先生が黙っていても、全校の
生徒に知らしめることができたのである。
天は、与太郎に味方したか?
だが、なまじ音楽や美術をこころざす者なら、「枕ことば」くらいは
知らなければならないとしても、千鳥の鳴きかたまで知る必要があるの
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11月22日(金)
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