ID:87518
与太郎文庫
by 与太郎
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■ ろくなやつなし 〜 理科教室の四悪人 〜
 
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20020301
 
 歴史的建造物がたちならぶ同志社中学にくらべると、山中の田んぼに
かこまれた同志社高校は、どの校舎も安普請で、みすぼらしかった。
 
 入学してまもなく、無人の休日に古い理科教室が半焼する事件があり、
放火ではないかと噂された。このとき“カンちゃん”こと高橋勘教頭は
「焼けた木材に、別々の方向から針のようなものを突きさしてみると、
一方は深く、他方は浅い。これによって延焼の経路をもとめ、最終的に
火元を特定できるそうだ」と(授業中に)解説をほどこされた。
 消防署か警察署の捜査に立会ったときの見聞みられるが、簡潔にして
直截な表現力に、いまも与太郎は感服する。いまどきの凡庸な教師なら
「いのちの大切さを考え、みんなで気をつけましょう」などと意味不明
の訓示をするにちがいない。
 
 数学教師は、かならずしも数学者ではないが、日常生活で数学的論理
をたっとぶ人でなければならない。さらに“かんちゃん”は、学校経営
の手腕においても有能であることを、期せずして語る。
「焼けた木材は、これをそのまま使うわけにはいかないが、焼け具合に
応じて、それぞれ値段がつくそうだ。これを売れば、新校舎を再建する
ときの応分の原資が得られる。諸君、ご両親に伝えてもらいたい。全額
寄付をお願いするようなことにはならない」
 
 ほどなく理科教室は新築され、あいついでチャペルも建設された。
 かくして“カンちゃん”は校長に昇格したのである。
 もとは“ライオン”こと加藤延雄校長が中学校長を兼務されていたが、
あるとき(星野光治教諭に前後して)解任され、暫定的に同志社教会の
茂義太郎牧師が就任、そのあと“カンちゃん”の長期政権がはじまる。
 
 後年(1964-1965)、同志社高校では全国にさきがけて、修学旅行を
廃したとかで、NHKの細谷与邦プロデューサーが電話取材したという。
「アワちゃん、きみの母校の校長は、なんだか老人くさい話し方だね」
「そんなことはない。あの校長は論理明快です。会えばわかりますよ」
 この問題が、番組として取り上げられたかどうか未確認だが、質問者
によって“カンちゃん”のキャラクターが変化するとは思えない。
 
 あたらしい理科教室は、すこし離れた空き地に建てられたので、数人
の理科教師たちは職員室にもどらず、こちらで休み時間や放課後の執務
を常とした。理数系のにがてな与太郎は寄りつかなかったが、有賀誠一
などは、心やすげに出入りしていた。
「こんどの理科教室には、専用電話があるんや」
「すると、何かのおりに便利かもしれんな」
「番号は、ロクナヤツナシ(6787)で覚えやすい」
 いまも手元にある“かんちゃん”の名刺に「吉田F六七八六」とあり、
その連番とみられる。
 
 いみじくも彼の発見した“ロクでもないヤツ”とは、理科教室に棲息
する四先生(谷本岩夫、森田昭典、高橋哲郎、石村 壹)のことか?
 理数科ぎらいの与太郎にとって、まさに隠し砦の四悪人に思えた。
 
 焼けのこった生物教室では、老躯“シシマイ”こと獅子堂静雄先生が、
孤塁をまもった。戦前の京都学派をしのばせる骨太センセイだった。
 玉松公叙(生物)先生は、やっこらさと職員室から往復されていた。
 
(この項未完 20050925 個人情報を修訂正)
 《カンちゃんの即断》《追辞》参照、《寝太郎》につづく。
 
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20050914
── 《恩師の条件 〜 テッちゃんの訃報 〜 》
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 理科教室にはじまったフルートの響きは、いまに続いている。
 はじめ有賀誠一が持ちこんだのがきっかけで、器楽部長に就任された
森田昭典先生が(勇気ある決断で)新品を購入され、いまは谷本先生の
ご子息(一人はファゴット)とつづくのである。
 のちに森田先生は尺八を、谷本先生は謡曲を学ばれたそうである。
 なお、修学旅行廃止の発案者は、谷本先生だったらしい。
 

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03月01日(金)
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