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与太郎文庫
by 与太郎
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■ ワカバヤシ・ミチオ
 
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19950301
 
 カンヌより同響の皆様へ (S41年卒) 若林 通夫
 
 この度、本宮先生より原稿をと、お便りいただき筆を取っております。
まずは創立70周年、おめでとうございます。
「同志社」という言葉を口にしますと、私の中学から大学までの10年間
の様々なことが思い出されるのですが、中でもオーケストラと共に過ご
した最後の4年間によって、今日の自分があるのだと思うと、感謝の念
で一杯になります。2年先輩であられた新開一朗さんのバスーンを聴き、
世の中にこんな不思議な音のする楽器があるのかと眼を開かされ(耳か
な?)この楽器のとりこになって今日まできたのですが、大学の4年間、
バスーンに没頭出来たのは同志社の自由自立の気風があったからこそと
思います。
 授業の思い出というのはほとんどないのですが(ところが、期末試験
を受けに明徳館へ行ったら、もう終わっていて青くなっている、という
夢をよく見るのですが、これはなぜでしょう?)、その代り自分のやり
たいことをし、将来のことについても考える時間が充分にあったこと、
又数多くの素晴らしい先輩、同窓生の方々にめぐり逢えたことは幸せで
あったとしか言いようがありません。
 さて現在は、ここフランス・カンヌのオーケストラで‘81年より仕事
をしています。‘66年に同志社を終えたあと京都市立音楽短期大学に入
り直し、1年後フランス政府給費留学生としてパリ音楽院に入り、モー
リス・アラール先生に師事、‘70年プルミエ・プルを取り卒業、1年間
音楽院のオーケストラで働いた後、一時帰国、すぐカナダへ参り‘73年
から‘81年までエドモントン・シンフォニーに在籍、その間1シーズン、
イタリア・パドヴァのソリスティ・ベネティに行って吹きました。
 ここカンヌはドビュッシーが音楽を始めた街なので、それを記念して
ドビュッシー・ホールというコンサート・ホールが私たちのオーケスト
ラの本拠地になっています。1年間のコンサートの数は大体 110回です。
長くいますと数々の思い出に残るコンサートがあります。
 例えば、ドーデーの悲しい物語に付けられた、美しいビゼーの「アル
ルの女」を真夏の夜に、プロヴァンスの街の中の本物の家や、井戸のあ
る広場を使って劇と共に演った時などは、これこそ本場だなと幸せに思
いました。今流行のプロヴァンス・ブームもいいですが、これは又全然
違ったプロヴァンスの魅力といえるでしょう。この曲は高校の時よくや
りましたので、私にとっては特に思い入れの深いものだから、余計感じ
るのかもしれません。
 40名の室内オーケストラで移動しやすいこともあって、フランスはも
とよりヨーロッパも随分演奏旅行に出掛けました。スイスのモントルー、
ウィーンのムジークフェラインザール、ベルリンの大ホール、チュニジ
アのエル・ジェムでの砂漠の真中にあるローマ時代のコロセウムでの満
天の星空の下でのコンサート等、又 '89年には渋谷文化村のオーチャー
ド・ホールのこけら落としのために行き、その後大阪、松本等を訪れた
旅行は、折しも紅葉の美しい季節でもあり生涯忘れることの出来ない思
い出になりました。
 気候はいい、景色は美しい、食べ物はうまい、人情は厚い、とカンヌ
もなかなかいい所です。どうぞ同志社のオーケストラの皆様どなたでも
いつでも遠慮なく遊びにおいで下さい。歓待いたします。
 同志社オーケストラのますますの発展を祈りつつ。
────────────────────────────────
── 本宮 啓・編《同響七十年誌 199503・・ 同志社大学交響楽団》
 《虚々日々》では一部(約200字)省略したので、ここで全文掲載。
馬場久雄君より19960106送られてきたコピーで、他に堀江公麿君の寄稿
もある。当初、定期演奏会のプログラムと考えていたが、のちに本宮先
生のところで、実物の記念誌を確認した。
 下記のホームページは、さらに後日発見したもの。
 
 
 「ワカバヤシ・ミチオ」 フィリップ・ベンダー(指揮)カンヌ管
 

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03月01日(水)
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