ID:87518
与太郎文庫
by 与太郎
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■ 三月十五日の余波月
 
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…… なごり【名残・余波】〔名〕(「波残(なみのこり)」の変化し
たものといわれる)(ふつう「余波」と書く)浜、磯などに打ち寄せた
波が引いたあと、まだ、あちこちに残っている海水。また、あとに残さ
れた小魚や海藻類もいう。── 《日本国語大辞典》
 
 Ex libris Web Library;Around the Moon(Wikipedia)
 
 もうひとつの木曜「三・一五事件」とはローマのクーデターで、改暦
から一年半のカエサルが「突然の予期せざる死」を迎える。その《ユリ
ウス暦》を修正し完成するアウグストゥスは、奇妙な調整を施した。
 
 小林多喜二が「濫らな題名をつけてはならぬ」と考え「恥ずかしくな
い立派な題名だ」と自負した《一九二八・三・一五》は、翌年の連載で
は《一九二八年三月十五日》と変更された。のちに友人の立野信之は、
「たぶん私がそうしたのだろうと思う。しかし、今では何のためにそう
変えたのか、その時の気持ちは思い出せない」と回想している。
 この日付(昭和三年* 木曜)にはじまる共産党弾圧は、多喜二の拷問
虐殺19330222(水曜)を頂点として、敗戦後の解放まで十二年間におよ
んだ。
 小樽監房の壁に刻まれた「三月十五日を忘れるな」の血書は、シベリ
アの日本捕虜虐殺「尼港事件19200524」を想起したもので、上海・呉淞
の対日抗戦19320128」ともに木曜日である。日曜日の奇襲「真珠湾を思
い出せ Remember Pearl Harbour 1941・1207」が日本では 1208(月曜)
となるのは、日付変更線のためである。
 シェイクスピア《ジュリアス・シーザー》第一幕で、占師がくりかえ
す「三月十五日を警戒せよ Beware the ides of March 」のイードゥス
は、もとは満月に由来する。
 《ローマ暦》では、大の月(三・五・七・十月)の十五日、小の月は
十三日を指す。大小いずれの月も、翌月一日を「カレンダエ1」として
逆に数えていくと「カレンダエ18」がイードゥスに当るのである。
 ところが、すでに当時カエサルが実施していた《ユリウス暦 》では、
奇数月はすべて大の月であって、いかにも合理的であるが、保守派や反
対派にとっては気にくわない。
 プルタルコス《英雄伝》によれば「キケロは、ある人が明日は琴座が
昇るといったのに『全くだ。政令によってね』と、さも改革自体を人々
が強制的に受けいれさせられているかのような意味で答えた」という。
(村川堅太郎編・風間喜代三訳・筑摩書房)
 三月十五日は当然《ユリウス暦T》だが「十四日のまちがいとする人
もある」の注記(大山康子訳《ジュリアス・シーザー》旺文社文庫)は
まちがいではなく《グレゴリオ暦》の日付であり、《ユリウス暦W》を
照合すると十六日(木曜日)である。念のため旧暦の《ローマ暦》とす
れば五月十四日にあたる。
 改暦年初からユリウス通日を通算すると JD1705427-1704541=886 日、
実施の日から五六一日目、四年目の閏年を待たずに没したため、誤まっ
て早められ、三年目ごとに閏年が置かれたという。カレンダエのような
ローマ式の数え方にも原因があるという。 この「誤置閏説」は後世の
推測であって、内政混乱の理由もあったのではないか。
 カエサルを討った者は、「三年以上生き延びなかったし」「何人かは
カエサルを害したその剣で自害し果て」カエサルが遺言したとおり、
養子(妹の孫)のアウグストゥスが最後に勝利して、煉瓦のローマから
大理石のローマへと空前の繁栄をきずいた。
 スエトニウス《ローマ皇帝伝》によれば、「誕生日のころになると、
いつも体の具合がわるくなった」アウグストゥスは、カエサルの暦法に
手を加える時機を待っていたいちはやく矛盾に着目していたにちがいな
い。

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03月15日(日)
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