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与太郎文庫
by 与太郎
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■ 高倉健の喜怒哀楽
 
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19781009
 
 中川一雄の映像飛評 @《野生の証明》《冬の華》
《黄色いハンカチ》以後の彼は新しい観客を求めている。
 
 野生の証明
 
 倉敷のポルノ専門館《千秋座》が、改築のため休館謝恩興行と称して
《シェーン》と《ミクロの決死圏》の二本立てを、実に100円という低
料金で公開した(8月16・17の両日のことで、近来の快挙であるから、
次号で詳しく取りあげたい)。
 何はさておき出かけたところ、最終プログラムに、たった30人ばかり
の観客を見て、がっかりしてしまった。
 ところが、こんどの《野性の証明》も、土曜オールナイトの最終には、
やはり30人足らずで、1300円も払った観客の半数が眠りこけていた。
 《シェーン》は、おそらく21世紀にも通用する古典的名作であり、角
川映画だって前2作の余勢を駆って、最終的には相当の観客動員を記録
するにちがいない。
“映画って、ホントにスバラシイですね”と毎週いっている、岡山出身
の映画オジサンなら、こういう事態をどう説明されるだろうか。
《宣伝の証明》とか《税金の証明》などと茶化された角川映画は、ある
いは宣伝アレルギーを招いたのではないか。こんどの作品は、なかなか
の力作で、今の日本映画界で考えられる最良のプロデューサー・システ
ムの成果として評価されてよい。
 ただし角川春樹プロデューサーに対する、庶民アレルギーも考えられ
る。学者であり、歌人としても尊敬された先代社長に三度も勘当された
道楽息子が、父の死後ぬくぬくと大出版社のトップに就任するや湯水の
ごとく宣伝費を使った映画、といわれても、やむを得ない。
 映画産業のおもしろい点は、悪評たかいプロデューサーでもしばしば
力作・名作を生んだ例が多い。彼が作るわけでないからである。スタッ
フは、いわば職人であるから、あてがわれた予算とキャストで、勝手に
どんどん作ってしまう。微妙な、映像の効果とか、意図的な要素は、撮
影現場やラッシュを見ても、シロウトには想像できない。もっぱら監督
の頭の中でだけ組みたてられ、収拾選択されながら完成する。
 角川映画を論じることは、以上でさしおき、目下の大スター高倉健の
ために作られた《冬の華》を軸に、自由な角度から、筆をすすめるもの
である。
 
 冬の華
 
 この映画か登場した際も、ホメ批評と、ケナシ批評の二通りに分れた。
どんな作品もそうだ、といってしまえば、たしかにそうだか、ホメ批評
は身内かヒモつきで、ケナシたのは、稿料の安い評論家ではないかと思
われる。
 そんなことはあり得ないが、勘ぐられるほど、お粗末な批評(紹介文
というべきか?)が横行しているのが現状である。
 ホメた例では、ラストシーンで高倉健が、ふり返った表情のすぼらし
さを挙げている。ケナシた例は「なんと高倉健が足長おじさんを演じた」
という書きだしである。
 他にも、いろいろの例があったはずだが、もともと映画批評にはべタ
ボメが多くて、現に業界最右翼の淀川長治氏にしても毎週々々ホメ続け
ることの難かしさを告白している。ホメたくない作品に当ると、自己暗
示にかけてでも、最大級にホメあげるのが仕事だと割りきっているらし
い。映画文化の発展という大局的見地から、テレビを通じての観客層を
考慮すれば、やむを得ない態度であるが、すべての批評が、そうであっ
てはいけない。そしてまた、気に入らないからといって、親のカタキみ
たいにコキおろすのも、なんだかシロウトくさい。
 
 エクボ発見法 もうひとつの世界が存在すること
 
 筆者は、ホメた理由もケナシた理由も、それぞれ認めないわけではな
い。しかし一編の作品、すくなくとも数十人、数百人を動員して完成し
た映画を、たったひとりが一本調子に論じるのは、いろいろ問題がある。
いかにも底の浅い見識に出あうと残念である(確実に何%かの観客を減
らすと思われる)。
 たしかに、すぐれた映画を見せられると、いくらホメても、ホメ足り

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10月09日(月)
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