ID:87518
与太郎文庫
by 与太郎
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■ 近藤 正臣:むかしもいまも芝居が好き
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19780102
http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/list?id=87518&pg=000000
http://www.enpitu.ne.jp/tool/edit.html
Ex libris Awa Library;ふルフる
【こんどう・まさおみ】1942・2・15 京都市に生る。洛東高校卒業。
斉藤 耕一・監督《花心中》、三隅 研次《狼よ落日を斬れ》、坪島 孝
《鬼輪番》、増村 保造《動脈列島》、貞永 方久《超高層ホテル殺人事件》
などの映画に出演。I972年NHK大河ドラマ《国盗り物語》で明智光秀
を演じて一挙に人気を得た。類型的な仇役だった光秀像は、先の《太閤記》
では佐藤 慶の強い個性で注目され、さらに近藤 正臣の現代的な絶望感
を秘めた演技が評価された。172cm、56kg.
(Interviewer:Yoshihuji, Ken'ichiroh)
闇の史実、空想の描写、虚々実々の演技。
http://oshiete1.goo.ne.jp/qa2750770.html
明智光秀はどんな人だったの?
── やはり 新劇のご出身ですか
近藤 新劇というより アングラ演劇のほうですね
── 七八年前てすか 盛んだったのは
近藤 ぼくは今 36才 いや35だったかな(*正しくは満35歳11ヶ月)
なにしろ十九はたちの頃ですから 盛んになるもならないも ほんとの
ハシりでしたね
── 私が アンダーグラウンド演劇に気づいたのは ずっと後のこと
ですね 建長寺の境内でしたか《藪の中》を観た記憶があるんです
近藤 ぼくたちのは まだ外へでて演るほどではなかったんです 唐十
郎などがテントとか ある空間を仕切ってやる なんてのは 当時まだ
なくて とにかくオリジナリティのある芝居せ演りたいというところか
ら出発して あとになって考えれば アングラ的なものだった という
わけで 最初からアングラを指向して始めたわけじゃなかった
── すると たとえば京都大学の西部講堂なんかで演じてたのは ブ
ーム的にアングラそのものを目ざしてたんでしょうか
近藤 そうかもしれない 自分の人生や生きざまで 舞台活動や社会活
動を得る手段として そのためにあっまってきた集団みたいなものが
今では ひとつのもののように見られてますね ぼくたちの頃は てん
てバラバラだったですね 芝居が好きっていうだけの理由で イデオロ
ギーなんてものも あんまり持ちあわせてなかったな 六十年安保のあ
とだから シビアな面は それぞれあったんだろうけど それは出さな
いで もっとちがった芝居は演れないかっていう時代でしたね
── 台本はどんなのを
近藤 だから自分たちで書いてました オーソドックスな戯曲じゃなく
ドラマツルギーも判っちゃない 適当につぎはぎだらけのものだった
たとえば ある部分はセロニアス・モンクのピアノで押しとおす な
んて書いてある その間役者は何をするか 判っていない とにかくレ
コード聴いてみろ それを聴いてみて何が演れる 演ってみろ こうい
う発想で演ってましたね
── するとアドリブですか
近藤 稽古場ではね 公演に持ちこむには ずいぶん時間も日数もかか
るわけでそれまてには いちおう定まったものになります だけど台本
として体裁のととのったものや テキストとして残せるようなものは
ほとんどないわけです
── オーソドックスな戯曲も勉強されたんでしょう
近藤 もちろんイオネスコとかベケットなどが最初の とっかかりにな
ってます
── そういった不条理の演劇を起点として 従釆の様式をうちこわす
試みではあったけれども それを凌駕するに至ったかどうか
近藤 うーん 凌駕したとはいえない 起爆剤としての要素はあっても
命を張るまでには至らなかったのかもしれない その末路が 今のてい
たらく(笑)です
── 今はテレビなんかで活躍されてるけれども むかしの姿が本来の
近藤さんですか
近藤 それじゃ お金が貰えないんです(笑)
── アングラのセリフは単発的というか 日常的なことばじゃないで
すね
近藤 ええ 新劇とちがう点は 持続力にとぼしいけれども 瞬発力が
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01月02日(月)
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