ID:87518
与太郎文庫
by 与太郎
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■ 京都市交響楽団常任指揮者 渡辺暁雄氏に聴く
 
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19701023
http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/list?id=87518&pg=000000
http://www.enpitu.ne.jp/tool/edit.html
 
 from Our Picture;渡辺 暁雄 19701023
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19701023
 出谷 啓《渡辺 暁雄氏に聴く 197012‥冬号 季刊アルペジオ》P08-11
 
──まずズバリおうかがいしたいのですが、外山雄三氏がやめられてか
ら、はたしてどなたが京響の次期常任にというのは、我々はじめ多くの
フアンの興味の焦点だったわけですが、渡辺さんがお引き受けになった
その動機をきかせていただきたいのですが。正直に申し上げて、我々に
はちょっと意外な気もしたのですがね。
渡辺 私もこちらにきて、二、三そのようなことばを耳にしたのですが、
そんなことより京響がどんなに良いオーケストラかということを、今一
度御認識いただきたいと思います(笑)私はもう二、三年前になります
が、一度京響に客演して、非常に純粋でしかも熱心な音楽性を持ってい
るのに感心したことがあります。ところが日本の音楽文化はどうしても
東京中心で、京都にこんなに良いオーケストラがあるのに、また大阪に
も大フィルという素晴らしいオーケストラもあるのに、全国的にほとん
ど知られていないのですね。こうした状態は日本の音楽のあり方として
は良くないと思うのです。そこで私のような者でも、東京をはなれたと
ころで仕事をすることによって、少しでも地方のオーケストラの状況を
広く知らせることも不可能ではないと悪ったので、有りがたくお引き受
けすることにしたのです。勿論このような要素は、あとでつけ足したよ
うなもので、第一には京響の楽員諸氏のひたむきに音楽する態度に大き
な希望をかけたからだということは、いうまでもありません。
──ではひとくちにいって、京響のオーケストラの特質といったものは、
どういうところにあるとお感じになりますか。
渡辺 さきにも申し上げましたように、まず音楽に対する純粋さでしょ
うね。そして楽貝諸君にも、きれいな音を出そうという意志がふしぶし
に感じられるのです。御承知のように京都というまちは、日本でももっ
とも純粋に文化的で、美しいところですが、そこのオーケストラなのだ
から、純粋で美しい音色を志向するというのは当然なのかも知れません
が。私としては、このような特色はこれからも伸ばしていきたいと思い
ます。
 これは余談ですが、私がヨーロッパで、京響に行くというはなしをし
ましたら、みんなから大変な祝福を受けましてね。ヨーロッパの知識人
で、京都を知らない人なんて一人もいませんで、日本でも最高の文化都
市というイメージをだれでも持っているのです。そこにあるオーケスト
ラだから、いいにきまってる(笑)と思い込んでいるのですね。だから
何度もいうようですが、それだけに地元のみなさんに、もっと関心と自
信や誇りを持っていただきたいと思うわけですよ。
──以前チェリウス氏が指揮者だった時期は、よく「モーツァルト・オ
ーケストラ」などという、有難いのかそうでないのかわからないような
評判を受けたのですが、これはやはり内在的な京響の「純粋さ」とかか
わリがあるのではないでしょうか。
渡辺 最近チェリウス先生にお会いしたときも、オレは日本でモーツ
ァルト指揮者にされちゃった≠ニいって憤慨しておられましたがね(笑)
だけどモーツァルトの音楽は大変純粋で、弾く方にとってはとてもコワ
い音楽なのですよ。だから京響がはじめから、モーツァルトに向いてい
たというよりも、モーツァルトを弾かされることによって、その特質が
自然に備わってきたと解するべきてはないでしょうか。
──今度は逆に、京響に一番欠けているといいますか、渡辺さんとして
こうした点を京響にのぞみたいといった点を腹臓なくきかせていただき
たいと思いますが。
渡辺 そうですね。今いったことのうらがえしになるのかも知れません
が、京響が非常に純粋なオーケストラであるという反面、そのマジメさ

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10月23日(金)
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