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与太郎文庫
by 与太郎
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■ 一聴一席D和洋折衷の館 オーティス・ケーリ教授ご一家をたずねて
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19690815
〜 オーティス・ケーリ教授ご一家をたずねて 〜
── 北海道でおうまれになって以来 日本語の御不自由は ないわけ
ですね
ケーリ ありましたよ 14才のとき アメリカに帰って5年のちに真珠
湾でしてね 当時日本的背景をもっている者はみんな調べられた そこ
で おまえ日本語できるはずだ というわけで引っぱられて ちょうど
大学のなかばだったところを 海軍でご厄介になって 忘れちまってい
たのを もういちど勉強させられました
── ご結婚は昭和19年でしたね
ケーリ そうです 戦争結婚ですね
── 戦後 同志社大学アーモスト館館長として赴任されたのは
ケーリ 22年9月です 五六年に一度くらいアメリカに帰りますが 子
どもたちの言葉の切りかえに ちょうどいい時期でしたね
── 先生のご趣味についてはロータリー・クラブの会員録その他では
車・テニス・旅行などで 音楽に関しては見あたりません ところが
十字屋の田中社長によると 数年前ピアノを買っていただいたから き
っとお好きにちがいない(笑)
ケーリ ピアノはアーモスト館で買ったんです(笑)もっとも若い頃に
2年ばかりやらされたことがあるが どうも病気がうまく移らなかった
らしい アンは先生について少し進んだようだね あとのふたりは も
っぱらゴーゴーばかり(笑)
エレン 5回くらい ピアノも習ったのよ(笑)
ケーリ ぼくは大学でグリー・クラブにいたから 歌うほうは少しやっ
てるかな
アン 父が好きなのはジャズ それもルイ・アームストロングね
── 讃美歌よりもジャズ ですか
ケーリ おお、そうですな(笑)30年ほど前からのファンですよ もっ
ぱらニュー・オルリンズ・スタイルでしてね
── 日本では 軽音楽という訳語に分類されたように 元来まじめな
評価をされなかったのですが アメリカではいかがでしたか
ケーリ まあ悪くいえば ジャズは赤線みたいな処の出身ですからね
戦前はそういう観方もありましたけれど 日本より早く解けたというか
戦後いろんな形のものが出てきて 快方に向いたんじゃないでしょうか
── いわば ちゃんとした演奏会を通じて インテリの間に定着する
には半世紀ほどかかったようですね
ケーリ 1890年代に出発して 演奏会形式になったのが1930年ですから
40年くらい それでもまだクラシックとくらべれば とても太刀打ちで
きないというのがもっぱらでしたね
── ベートーヴェンを聴くことと ゲーテを読破することを同じ水準
の作業であるとして ジャズが健全で有益な芸術であるなら シェーク
スピアと同じ熱意で とり組めるわけですね
ケーリ もちろん ぼくはそう思ってきましたし それで興味をみがい
てきたつもりです だけれども 類型がちがうということはあるでしょ
う シンフォニーのように 四つにわかれて 長くて キチンとしたも
のではなく 楽譜に書けるようなものではないですね もう一つは臨機
応変そのものでしょう インスタントの問題への接近ですからね だか
ら アームストロングに同じものを二度やらせても 同じものは 出て
こない
── 学問としての探求は アメリカではどのように進んでいますか
ケーリ 本もありますし 大学で講座をもうけているところもあります
日本では エンジョイするものとしては盛んだけれども 大学で たと
えば京都大学や同志社大学に ジャズを勉強するところはないでしょう
その意味では ジャズの歴史とか それぞれ大物の位置なんてものが
学問の立場から保存して ちゃんと扱っています しかしある程度つっ
こんでいくと 楽譜のあるものじゃありませんので 実演と関係してき
ますね
── そういう探求の面で 最近の若い世代は 少し変ってきたようで
すね
ケーリ 私らのようなファンではなくなりましたね それというのも
これだけ音楽の種類が豊富になって 設備もよくなって 演奏グループ
も増えています 私らの若い頃には これほどではなかったし いい
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08月15日(金)
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